北海道新聞 旭川支社 + ななかまど

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北極星

道北各界で活躍する皆さんによるエッセーコーナーです。 2020年3月までの記事はこちら


安川としお(士別・朗読パフォーマー)*薪割り

 冬が近づくと、60センチぐらいに切られた木が、馬車やトラックで山のように運ばれてきて、家の前におろされた。1950年代には、通るクルマもほとんどなく、苦情などなかった。
 翌日、太いタイヤのリヤカーに発動機で動く丸ノコを積んだ“薪(まき)切り屋さん”がやってきて、半日ほどかけて薪を20センチほどに切っていく。さらに翌日から、両手で振りおろす大きなオノと、片手で使う小さなマサカリで、店の従業員が代わる代わる薪をほどよい大きさに割っていく。
 小学生の私も、ヒョロヒョロの体で何とかマサカリを振り上げて手伝う姿勢は示すが、どうも思うようにいかない。
 早く大人になりたい。自分もいろいろな事ができるようになりたい。当時の子どもたちはみんなそう思い、思いっ切り背伸びをしていた。憧れの対象となる名人がマチにあふれていた。コマを回しても、タコを揚げても、模型飛行機を飛ばしても、子どもが全くかなわない大人がたくさんいた。
 薪割りの手伝いを通して木の柾目(まさめ)や板目を教えられた。割られた薪は物置や家の軒下に整然と積まれた。薪のパチパチとはぜる音を聞きながら、薪ストーブを囲んで焼いたでんぷん団子やスルメの味は格別だった。貧しいけれど、豊かだった時代のいとおしい記憶。

(2020年11月2日掲載)

 

※掲載情報は、取材当時のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。


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