北海道新聞 旭川支社 + ななかまど

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北極星

道北各界で活躍する皆さんによるエッセーコーナーです。 2020年3月までの記事はこちら


藤沢隆史(礼文町教委主任学芸員)*古代オホーツク人が残したもの

 礼文島には現在、55カ所の遺跡が見つかっており、その約半数がオホーツク文化の遺跡です。オホーツク文化とは、年代的には5世紀から9世紀、日本史の歴史区分では古墳時代から平安時代にかけて、サハリンの一部と北海道北端からオホーツク海沿岸にかけて広がった古代文化です。
 その内容は、縄文文化以降、続縄文、擦文(さつもん)文化と続く北海道の先史、古代文化とは異なる特徴を持ち、その文化を担った人々もまた、続縄文人、擦文人とは異なる特徴があります。具体的には、大型で複数世代が住める住居、死者の頭に土器をかぶせる埋葬法、漁労や海獣狩猟に特化した生業などが挙げられます。
 現在、礼文町教育委員会では東海岸香深井(かふかい)地区にあるオホーツク文化の集落遺跡である香深井1遺跡の発掘調査を行っています。この遺跡は約50年前に北大によって発掘され、その調査結果が道北地方におけるオホーツク文化の解明に大きな成果をもたらしました。
 今のところ、住居跡やお墓などは見つかっていませんが、遺物が出土する層が厚く堆積しており、大量の土器や石器、動物の骨などが出土すると想定されます。半世紀ぶりに調査された遺跡からどんな情報が得られるのか、北海道の古代史を彩るオホーツク文化が再び脚光を浴びる日が来るかもしれません。

(2020年9月7日掲載)

 

※掲載情報は、取材当時のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。


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