北極星
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谷龍嗣(留萌・僧侶)*喜びを供える
先日97歳で祖母荒谷キクが旅立ちました。水泳、俳句、お茶、畑仕事、歩くスキー。何でもできる「スーパーばぁちゃん」は孫たちの憧れでもありました。てっきり100歳まで生きるとばかり思い込んでおりました。
今年のお正月はひ孫に笑顔でお年玉を渡し、ニコニコと写真を撮っていただけに急な旅立ちは本当に寂しいものがあります。人が亡くなる喪失感は計り知れません。しかし、その見えない喪失感を私たちは「供養」と言う形で補い心を整えてきた気がします。
供養には三つの意味があると言われます。一つ目は供える。心をカタチにして亡き人に供えること。二つ目は敬うこと。もっと身近に言えば「忘れない」こと。そして三つ目は亡き人が「喜ぶ行い」をすることです。
人それぞれ思いを寄せる人は違えども、亡き人に好きなものを供え、忘れないように思いを寄せ、亡き人が喜ぶ生き方をすることで、自分にも喜びが生まれます。
だからこそ、供養は「人」が「共」に心身が「養」われると書く様に「亡き人」も「あなた」も安らかな心になるのだと思います。
もうすぐお盆が始まります。コロナ対策をしっかりして、今は亡き大好きだったあの方に会いに行ってはいかでしょうか?
(2022年7月18日掲載)
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