北海道新聞 旭川支社 + ななかまど

北海道新聞 旭川支社 + ななかまど

北極星

道北各界で活躍する皆さんによるエッセーコーナーです。 2020年3月までの記事はこちら


藤沢隆史(礼文町教委主任学芸員)*2つの運がつなぐ絆

 礼文島の近代漁場開拓の祖と伝わる、青森・津軽出身の柳谷万之助。これまで何度かこのコラムで紹介してきましたが、このたび、万之助から始まる直系3代に関する柳谷家資料群177点が『イリナカ柳谷家関係資料』として町の文化財に指定されました。
 資料からは漁場や土地開拓の経緯をはじめ、明治から昭和初頭までのニシン漁場に関する経営実態などを知ることができ、2代目の善太郎は村の総代、3代目の石松は漁業組合長を務めるなど、柳谷家が旧香深村の自治・水産振興に尽力してきたことも分かります。
 ニシン漁の網元だった柳谷家は石松の代で終わり、晩年の石松は生まれ故郷の津軽・三厩(みんまや)で余生を送りました。その後、島に残った石松の長男は漁業から宿泊業に転向、自宅を改装した宿は若者たちに大人気だったといいます。
 一方、三厩で石松と暮らした五男は父石松がかつて運用していた仲買船と同じ船名「清運丸」の船に乗り、漁業で生計を立てました。清運丸は今でも現役で活躍していますが、礼文でも昭和30年代まで使われていたことが、つい最近、見せていただいた1枚の写真から判明しました。
 礼文と三厩、それぞれの柳谷家にとって清運丸は遠く離れても長きにわたり一つの海でつながってきた絆を象徴する船なのかもしれません。
(2021年3月22日掲載)

 

※掲載情報は、取材当時のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。


GO TOP