北海道新聞 旭川支社 + ななかまど

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どうほく談話室


飲食店紹介ブログを毎日更新 裸電球さん(40)

闘病中、コロナ禍でも発信*酒場で笑い、学び これからも

 旭川市内をはじめ道内各地の飲食店を紹介するブログ「裸電球ぶら下げて」。2012年のスタートから毎日更新を続け、延べ約4千店を掲載している。運営する裸電球さん(40)は20年に希少がんである胚細胞腫瘍に罹患(りかん)。闘病中もブログを書き続けた。酒場を巡る楽しみや、その魅力を発信し続ける理由を聞いた。
 
――ブログを始めた経緯は。
 「当時、旭川ケーブルテレビで番組MCをしていました。スマホが普及し、交流サイト(SNS)が出てきたばかりの頃です。個人がメディアに代わる日が来るのでは、と考えて始めました。365日、毎朝6時に更新すればリズムができる。ハードルは上がりますが、今でも書きためはしていません」

――インスタグラムやユーチューブでも「食べ歩き」を発信していますね。
 「食べ歩きは毎日でも苦にならないと思っていましたが、振り返ると大変でした。店にお金を払って食べに行き、自分の時間を削って書いています。創業、結婚、第1子誕生がほぼ同じタイミングで、貯金残高がどんどん減るのを見て、辞めようかどうか悩みました。でも、ブログを読んで『裸電球さんに仕事を』と依頼してくれる方もいて、グルメのイベントに呼んでもらえることも増えました。続けてきたからこそ、つながりが生まれました」

――2020年初めに、がんが見つかりました。
 「息苦しさが数日続き、1週間後には起き上がれなくなりました。近くの内科でエックス線検査をすると、肺が三日月のようにつぶれていました。東京の国立がん研究センターで生体検査をし、胚細胞腫瘍と分かりました。かかるのは年間10万人に1人の希少がんです」
 「東京では1カ月のうち1週間、入院して抗がん剤を打ち続けます。残りの3週間で食べ歩き、ブログを書きました。抗がん剤の影響で味覚はありませんでした。1回でも甘えたら、これまでやってきたことが台無しになると思っていました。そのうち、東京も緊急事態宣言で店が閉まり、医師に電車移動を控えるよう言われたこともあり、不定期更新にしました」

――コロナ禍でも発信を続けました。
 「20年夏に旭川に戻ってすぐ、ブログを再開しました。当時、飲食店は悪者扱いでした。常連さんの合言葉は『落ち着いたらまた行くね』。でも、落ち着いた時には店の体力が残ってないんじゃないか。コロナが明けたら全部なくなってしまっているかもしれない。そう思い、マスクを二重にして酒場に出ました」
 「店に行けば、みんな『体大丈夫?』と言ってくれるけど、俺にとっては『この街大丈夫?』の気持ちが大きかった。つらい情勢でも店を続けてくれている。今こそ恩返しを、と思い発信していました。最近は旭川でも新店が増えています。良いスタートを切ってもらえるよう、なるべく多くの店を紹介しています」

――飲食店を巡る魅力は。
 「酒場はコミュニケーションの場だと思っています。笑いや癒やしのある楽しい夜もあり、こういう大人にならないように飲もうと学んだ日もありました。自分自身は、酒場に通って育ててもらったと思っています。これからも大事にしていきたいです」(聞き手・山口真理絵、写真・宮永春希)

 
*取材後記
 筆名「裸電球」の由来を聞くと「ひらめきの象徴で、頑張っている人を照らす温かい光」だと教えてくれた。自分自身の発信力を高める願いも込めたという。
 闘病中、抗がん剤の影響で髪が全て抜け落ちたが、病状が落ち着いた現在も週に1度、つるつるにそっているそうだ。「見た目が裸電球の人が、裸電球と名乗って飲んでいたらいいなと思って」。ちゃめっ気たっぷりに笑う様子に、酒場で愛される人柄を垣間見た。

 
 はだかでんきゅう 1983年、美唄市出身。国学院大卒業後、旭川ケーブルテレビに入社しリポーターを務める。2012年にブログ「裸電球ぶら下げて」(https://hadakadenkyu.jp/)を開設。14年4月に独立し、映像製作業「HADAKA DENKYU」を創業。旭川市を拠点に、企業のPR動画作成や講演会収録などを手がける。本名は星野智哉。

(2023年10月2日掲載)

 

※掲載情報は、取材当時のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。


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