北海道新聞 旭川支社 + ななかまど

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どうほく談話室


サッポロビール原料開発研究所北海道原料研究グループリーダー 鯉江弘一朗さん(48)

上富良野でホップの品種開発*代えがたい道産の良さ 後世に

 【上富良野】1923年(大正12年)に町内でホップの試験栽培が始まってから今年で100年を迎えた。収穫期には青々としたつるが高さ5メートルほどまで伸び、カーテンのように連なる光景は町民にとって身近な存在だ。町内で約20年ホップの品種開発に携わるサッポロビール原料開発研究所北海道原料研究グループのリーダー兼購買部フィールドマンの鯉江弘一朗さん(48)にホップ栽培への思いや今後の展望を聞いた。
 
――上富良野でホップ栽培が始まった経緯は。
 「サッポロビールの前身・大日本麦酒が大正初期から道内各地を見て回り、上富良野が栽培の適地だと分かったのがきっかけです。東洋のビール王と呼ばれた馬越恭平社長らが当時の上富良野村を訪問し、吉田貞次郎村長の紹介で土地を購入しました。富良野地方では最大約100戸の生産者がいたと聞いていますが、現在道内の契約農家は上富良野町内の4戸です」

――研究グループの特徴を教えてください。
 「全国的に珍しいホップの品種開発が行われており、育種の段階で数千種類、19世紀から集める親株は数百種類持っています。その中で、ソラチエースやリトルスター、フラノマジカルなどが誕生しました。試験圃場(ほじょう)もあり、栽培試験でビールが作れるほどの量を収穫することもあります」

――入社した経緯は。
 「大学と大学院でビール麦に関する研究をしていて、正直もういいかなとも思っていました。ただ教授から飲料メーカーで働く先輩が洋酒や原料の買い付けで海外を出張して活躍していると聞き、すごくかっこいい。ビール会社もいいかなと思ったのが大きいです」

――この15年間で、ホップを取り巻く環境は世界的に変わったそうですね。
 「その品種にしか出せない香りなどを重要視する、理想的な形になってきたと思います。昔は品種にそこまでこだわりがなく安価な外国産が選ばれてしまう。道産の良さは何だみたいな時代もあったんですが、上富良野で開発する中で他では代替できない品種が増え、この商品を作るんだったら(上富良野の)ホップを増やさないといけない。そのために栽培面積を増やす、収量を多く見込める技術を持つといった考え方に変わっていきました。町内の生産者が良い物を作り、それが欲しくて買う。私たちも作りたくて作る。互いにメリットがあるので、今後も伸びると思います」

――今後の目標は。
 「研究はやはり面白い。世の中にたくさんある自分しか気づいていない、(誰も)探索しようとしない分野を見つけて検証し解明していく。その成果が論文や特許、品種になると死んでも名前はずっと残る。例えば、20世紀初頭に作った『信州早生(わせ)』は育成者が亡くなっているんですが、今でも使われていてそのビールは飲まれています。品種が生き延びる限りは私が手を掛けたものが残る。なかなか得られない経験ですね」
(聞き手・富良野支局 千葉佳奈)
 

*取材後記
 入社後の大半を上富良野で過ごし、今は責任者として若手の育成にも力を注ぐベテラン。どんな質問にも的確な回答がすぐさま返ってきたが、一番好きなビールを聞いた時のみ「難しい…」と熟考。それぞれの良さを語りながら悩む姿に、開発者の視点とはまた違ったビール愛が垣間見えた気がした。聞いた話を振り返りながら飲んだビールはのどに染み渡り、いつも以上においしく感じた。
 
 こいえ・こういちろう 1975年、名古屋市出身。京都大大学院農学研究科修了後、99年にサッポロビールに入社。上富良野勤務が長く、ホップの品種開発などに携わる。一押しの銘柄は「エーデルピルス」「SORACHI1984」「サッポロ クラシック」

(2023年7月24日掲載)

 

※掲載情報は、取材当時のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。


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