北海道新聞 旭川支社 + ななかまど

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どうほく談話室


川村カ子ト記念館副館長 川村久恵さん(52)

文化伝承の中継ぎ役*アイヌ民族の明るさ知って

 道内最古とされる私設のアイヌ文化博物館「川村カ子トアイヌ記念館」の副館長川村久恵さん(52)は、20代から本格的にアイヌ文化を学び、多くの人にアイヌ民族の歴史を伝えている。記念館は昨年6月から建て替え工事を進め、今年4月24日にプレオープン。7月25日の本格開業を前に、記念館の運営方針やアイヌ文化への思いを聞いた。
 
――記念館の特徴を教えてください。
 「アイヌ民族について正しく理解してもらうことが一番の目的です。1階は前の建物にあった民具を中心に展示し、2階はアイヌ文化の発展に尽力した人物の紹介を通して、アイヌの現在や未来について考えてもらえれば。ステージも新設したので、いずれはイベントも開催したいです」

――7月の開業に向け、どんな準備をしていますか。
 「収蔵物の展示を進めています。あとはエゾマツやホオノキ、キハダなどの樹木を植えて、アイヌ文化の植生を伝える庭づくりも進めています」

――旭川のアイヌの歴史はどんな特徴がありますか。
 「江戸時代の松前藩の区分では、旭川は『西蝦夷(えぞ)』に属します。『二風谷コタン』がある平取町や、民族共生象徴空間(ウポポイ)がある白老町は『東蝦夷』で、文化的な差異があります。また、旭川はアイヌの中でも発言力があった地域で、給与地返還運動で、先進的な活動を続けてきました。そういう点で、旭川は特に広く伝えるべき場所だと思います」

――和人の立場から、アイヌ文化を伝えていますね。
 「20代で結婚した後に、アイヌ文化を学び始めました。それもアイヌ文化が好きという気持ちよりは、必要に迫られて一つ一つ覚えていったという感覚です。記念館の運営に携わる中で、和人ゆえにちゅうちょしたり、活動から離れたいと思ったこともあります」

――それでも、活動を続けてきた理由は何ですか。
 「ある時、自分は『文化を伝える中継ぎ役なんだ』と思えた時から視点が変わりました。次の担い手が出てきたら、バトンを渡せばいい。周りにどう思われても仕方ないと切り替えられたんです。アイヌは心の内に重いものを持っていても、必ずどこかに明るさを持ち、人生を楽しんでいる。そういう姿や温かさに触れるうちに、離れがたく感じて、続けてこられました」

――記念館でどのようなことを伝えていきますか。
 「旭川のアイヌは、自分たちの権利を守るため、常に強さを持って活動してきました。深刻さだけでなく、そういった明るさを伝えたい。人々の協力を得ながら、記念館を文化の伝承や人材育成ができる場所に育てていきたいです」
(聞き手・旭川報道部 渡辺愛梨)

 
*取材後記
 質問に対して、まっすぐ前を見据えて、ゆっくりと言葉を選びながら答える姿が印象的だった。
 川村さんは高校生時代、自ら調べて学ぶ授業で、アイヌ民族をテーマに選び、大学では現代社会を切り取るドキュメンタリーを撮りたくて、映画を専攻していたという。語られた一つ一つのエピソードが、記念館でアイヌ文化を伝える現在の活動に、おのずとつながっていると感じた。
 
 かわむら・ひさえ 1971年、東京都生まれ。東京造形大在学中、首都圏に住むアイヌ民族と和人の交流団体『ペウレ・ウタリの会』に入会。卒業後に「川村カ子トアイヌ記念館」館長の故川村兼一さんと結婚し、旭川へ移った。2009年から副館長を務める。
 
(2023年5月22日掲載)

 

※掲載情報は、取材当時のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。


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