北海道新聞 旭川支社 + ななかまど

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北極星

道北各界で活躍する皆さんによるエッセーコーナーです。 2020年3月までの記事はこちら


藤沢隆史(礼文町教委主任学芸員)*西方から来た仏様

 礼文島内の寺の中で最も古い起源を持つ吉祥寺(きちじょうじ)。昨年、このお寺の涅槃図(ねはんず)という江戸時代の絵図を紹介しましたが、実はもう1点、同じ時代の資料があります。阿弥陀(あみだ)如来像です。

 この仏像には「貞享4年」という年号と、「宮内法橋」という作者名が書かれています。貞享4年は西暦1687年、宮内法橋は三代にわたり上方(今の大阪)に在住した仏師です。

 宮内法橋が制作した仏像は、淡路島を中心に西日本で300例ほどが発見されている一方、東日本では2例しか見つかっていません。吉祥寺の仏像がいつ、どのように伝わったのか、記録は何も残されていませんが、寺の由来から一つの推測ができます。

 吉祥寺は、明治時代初期に来島した徳島県の僧が建てた礼平寺を起源としています。江戸時代、淡路島は徳島藩に属していました。こうしたことから考えるに、仏像は淡路島、もしくはその周辺で祭られていたものが、徳島県の僧によって直接持ち込まれたのではないでしょうか。

 ちなみに仏教では、西方に阿弥陀如来がいる極楽浄土があると言われています。困難や苦労が多かった明治の開拓期、この仏様の前で島民は何を祈ったのでしょう。

(2024年12月02日掲載)

 

※掲載情報は、取材当時のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。


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