北海道新聞 旭川支社 + ななかまど

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どうほく談話室


名寄高吹奏楽部顧問 山本真平さん(36)

最高峰のコンクール初出場に導いた*部員上達 地域の応援力に

 【名寄】名寄高吹奏楽部は昨年、小編成(30人以内)の吹奏楽部が出場するコンクールの最高峰「第23回東日本学校吹奏楽大会」に、同校に記録の残る1991年以来初めて出場した。ここまで導いた顧問の山本真平教諭(36)に音楽の魅力や、地域のイベントに関わる活動の原点について聞いた。

 

-東日本大会に出場できた決め手は何ですか。
「特別な指導をしているわけではありません。これまで市教委や市民文化センターなどの協力で、OBのサックス奏者元晴さんや米国出身ジャズピアニストのジェイコブ・コーラーさんらと共演させてもらい、力を付けました。名寄市内の高校が2校から1校になりそうだという話が出始めた数年前、地域と積極的に関わる活動をするべきだと考えました。コロナ禍で演奏会が難しくなる中、できる機会を何とか探して演奏を重ねるうちに部員も上手になり、地域の人も注目して応援してくれるようになりました。部員は人前で演奏することでパワーをもらいます。地域の人に育てられているのです」

―ご自身の学生時代は夕張市で無料の演奏会を開いていたそうですね。
「岩教大の学生時代、夕張出身の同級生や先生と、夕張の財政破綻直後の2007年、『このまちのために何かしよう』と夕張高等養護学校でピアノやフルート、歌で応援するコンサートを開きました。その後も市内で定期的に演奏会を催しました。何年も会っていなかった夕張の人同士が演奏会をきっかけに再会し、交流を深める様子を見て『音楽も社会とつながることが大切』と教えられました。今の活動の原点です」

―約1年間ピアニストとして活動した後、25歳で音楽教員になりました。
「月に15本ほどコンスタントに仕事はありましたが、『このままで自分は成長できるだろうか』と悩んでいました。そのころドイツへの留学を考えており、留学費用がほしかった。教員免許は持っていたので、期限付き教員になろうと考え、試しに道立高校の教員採用試験を受けたら、採用が決まりました」  

「初任地は佐呂間高です。着任前はモチベーションが高くありませんでしたが、同僚や生徒、地域の人に恵まれました。吹奏楽局の顧問を任されたけど、ピアノと指揮の経験はあっても指導は初めて。最初はどうしていいか分からず、悩みました。近隣の強豪校の先生たちに教わりました」

―これからの目標を教えてください。
「音楽の道に進む人を増やしたいです。音楽が学問として社会的に価値があることを高校生に伝え、芸術の道に進んだり、一生好きでいる人を育てていきたい」(聞き手・朝生樹)

 

 *取材後記
3月に名寄市民文化センターエンレイホール(647席)で開かれた吹奏楽部の第32回定期演奏会は満場の拍手に包まれていた。
山本さんが取材の中で繰り返した言葉は「地域」だ。名寄高は地域住民が学校運営に参画する「コミュニティ・スクール」制度を取り入れており、学校運営協議会委員も務める。音楽を通して学校、地域を盛り上げる山本さんの活動から目が離せない。

 

 やまもと・しんぺい
1988年、札幌市出身。6歳ごろピアノを始め、道教大岩見沢校卒業。道教大大学院音楽教育専修を修了後、プロのピアニストとして活動。2013年に道立高校の音楽教諭に採用され、19年から名寄高に勤務する。

(2024年04月22日掲載)

 

※掲載情報は、取材当時のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。


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