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北極星

藤沢隆史(礼文町教委主任学芸員)*地名に潜む歴史と伝説 2018/12/02

 礼文島の名称は、レプン・シリ(沖の・島)というアイヌ語に由来している。島内の字名も、ほとんどがアイヌ語を日本語に転化させたり、アイヌ語の意味に漢字を当てたりしたものである。しかし、アイヌ語由来ではなく、近世・近代の歴史にちなむ地名が一つだけある。それが「会所前(かいしょまえ)」である。

 「会所」とは、江戸時代には役人や商人の事務所を指すが、蝦夷地(えぞち)と呼ばれた北海道では、漁場請負によって松前の商人が現地に支配人などを置いた運上屋とも呼ばれていた。

 礼文島には天明年間(1781~89年)に運上屋が置かれたとされ、明治2年(1869年)に漁場請負制の廃止に伴い「会所」へ改称した。ただ実際は、商人による漁場の請負が1876年まで続いた。

 沖合に弁財船が停泊し、はしけ船が行き来する会所の付近には必然的に民家や商家が増え、やがて、辺り一帯を会所前と称するようになった。現在でも信金や商店などがある利便性の高い地域である。

 なお、島内には江戸時代のある人の伝説にちなんだ地名もある。この人は、加賀国(石川県)の豪商として有名だが、地名の由来はこの人ではなく別人に関することである。ヒントは「密貿易」と「きんつば」。答えを知りたい方は、ぜひ島にお越しください。


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