北海道新聞旭川支社
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北極星

藤沢隆史(礼文町教委主任学芸員)*王様が残した足跡 2018/01/18

 かつて、礼文島には王と呼ばれた人物が暮らしていた。その名は駒谷三蔵(こまやさんぞう)である。

 駒谷三蔵は青森県東津軽郡油川村で生まれ、間もなく三厩村の駒谷家の養子となり、江戸時代最末期の1865年、養父と共に礼文島へ渡った。渡島後は、香深井(かふかい)地区を中心に精力的に漁場を開拓していった。

 その後、ニシンの豊漁による安定的な経営により、明治20年代には実業人として全道的に知られるようになり、最盛期に9ヶ統(とう)の漁場を営む礼文島きっての大漁業家となった。そして、その財力と人徳により礼文王と称(たた)えられ、「礼文の駒谷か、駒谷の礼文か」とまで言わしめる大人物となった。

 ここまでは町史などの資料によって知られていたが、最近新たな資料が見つかったことにより、この後の話が見えてきた。

 1892年(明治25年)に娘婿を迎えて漁場を継承させる一方、1913年(大正2年)には余市郡黒川村に700町歩(約694ヘクタール)もの広大な農場を取得し、長男にその経営を任せた。この農場は、第2次大戦後に行われた農地解放に先駆けて小作人に解放され、その功績により余市開拓史に駒谷の名が残されることとなった。

 礼文島では漁業、余市では農業で大きな足跡を残した駒谷三蔵。礼文島開拓史上、異なる産業と地域で功績を残した人は他にいない。記憶のかなたの王様は、記録の中に生き続けている。


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