北海道新聞旭川支社
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北極星

 藤沢隆史(礼文町教委主任学芸員)*絵馬に込めた願い 2017/10/26

 礼文島香深、入舟地区にある厳島神社には、7枚の絵馬が残されている。

 厳島神社は、1808年(文化5年)に建てられた弁天社に起源を持つ神社で、明治時代初めに春日造りの社殿が建てられたが、豪雨による土砂崩れで崩壊、埋没した。しかし、すぐに個人所有地の寄付を受けて新たな社殿が建てられ、現在に至っている。

 奉納された絵馬のほとんどは、社殿新築前後の明治20年代に集中している。図柄は、神像や武者、神話の一場面などがあるが、中でも北前船と呼ばれた和船を描いた船絵馬が注目される。

 北前船は、江戸時代に大坂と蝦夷地(えぞち)を結ぶ日本海航路を行き来した交易船のことで、生活必需品や海産物の売買をしながら約1年かけて往復した。船主たちは、長い航海の安全を祈願して、寄港地の社寺に船絵馬を多数奉納している。

 厳島神社の船絵馬は、1892年(明治25年)、讃岐国三野郡(現在の香川県三豊市)粟島の岡松喜三郎という人物が奉納したものである。粟島は、瀬戸内海の塩飽諸島に属し、北前船の寄港地としてにぎわった島で、岡松喜三郎は絵馬に描かれた住吉丸の船主であったと思われる。

 瀬戸内海と日本海という二つの海を跨(また)いだ古き海の交易路。住吉丸に関わったさまざまな人々の願いが込められた船絵馬は、今でも遠い粟島を見つめている。


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