北海道新聞旭川支社
Hokkaido shimbun press Asahikawa branch

日曜談話室

岡田喜篤さん(84)*北海道療育園理事長*重い障害の入所者守り50年*心を寄せ命の奥深さ学ぶ (2019年11月17日掲載)
おかだ・きとく
1935年(昭和10年)、日本統治下の朝鮮(現北朝鮮・徳源)生まれ。名古屋大院医学研究科修了。名古屋市立大医学部助手を経て、愛知県の重症心身障害児施設「こばと学園」(当時)で勤務。76年に同園園長。全国各地の障害児施設で勤務し、2012年に社会福祉法人「北海道療育園」の常務理事、13年から現職。精神科医。

 旭川の重症心身障害児(者)施設「北海道療育園」(市春光台4の10)が開園50周年を迎えた。重度の知的障害と肢体不自由がある2~78歳の333人が暮らし、職員約500人が日常の生活介助などに当たる。岡田喜篤理事長(84)に、重い障害の入所者を支え続ける思いを聞いた。(聞き手・旭川報道部 佐々木麻美、写真・舘山国敏)

 ――重症心身障害児の受け入れ態勢はどうなっていますか。

 「障害児が生きるためには、常に医療的なケアが必要です。ですから施設は介護だけでなく、病院としての機能も持っています。最も弱い存在である入所者を守るために、一定数の医師や職員が必要で、規模はそれだけ大きくなります。児童福祉法に基づいて、運営費の多くが税金によって支えられています。障害児の命は社会で支える。こうした社会を築いてくれたみなさんに感謝しています」

 ――1969年に開園して半世紀になりました。

 「これまでを振り返ると、前理事長の江口武さん(故人)の功績が大きい。江口さんは福祉を『生活を大切にすること』と定義し、80年代に施設の改革を進めました。障害者施設で入所者への暴言や拘束が問題になっていたころです。普通の人と同じ生活をしてもらおうと、入浴を夜間にし、お楽しみ献立や行事食を取り入れました。職員の労働環境の改善にも取り組みました。ここまで入所者や職員を大切にする施設はほとんどありませんでした」

 ――理事長が重度心身障害児に寄り添うきっかけを教えてください。

 「私は60年代に医師として働き始めましたが、その後も障害者への偏見が強い時代が続きました。ある病院の待合室で、双子の子どものうち1人に障害がある母親が泣き崩れていました。担当の医師に、自分の子どもたちを『ヒツジとオオカミ』と言われたと…。医師である前に人間であろう、最も重い障害がある子どもや親を守ろうと誓ったのがきっかけです」

 ――3年前には相模原市の知的障害者施設で殺傷事件が起きました。

 「大変悲しいことです。元施設職員の被告が主張するような『生産性』で命の価値を決めることは、絶対にできません。人はみな等しく大切な存在です。療育園でも入所者は懸命に生きています。脳機能がほとんどない入所者が、面会に訪れた母親の声を聞いただけで、にこにこと笑います。驚くとともに、命の奥深さを感じます」

 ――施設は地域とのつながりが強いそうですね。

 「入所者は20歳になったら、町内会の会員になります。地元の幹線道路の花壇を整備する『フラワーロード』やイルミネーションで冬を彩る『あかりロード』など地域との共同事業も長く行っています。今後も地域と共にある施設であり続けたいと思います」

*取材後記
カトリック教徒の父親が修道院で農芸化学の講師を務めていた関係で、日本統治下の朝鮮で生まれた。日本人だが、引き揚げ後は「朝鮮人」といじめられた。現地の子どもたちとは友達だった。「なぜ、朝鮮人だと差別されるのか」。人種や障害を理由に差別や偏見を受ける側に常に寄り添ってきた。取材を通じて、人間の強さは優しさだと教えられた。それが一番、難しいのだけれど。


戻る