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むらおか・あつこ 1948年、留萌市生まれ。札幌市内の短大を卒業後に結婚。夫の転勤で旭川へ移住した。英語塾の経営などを経て、旭川市議を2007年から1期務めた。06年から市民団体「子どもの権利条約旭川市民会議」代表。夫と2人暮らし。
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親から虐待を受けるなど行き場のない子どもを一時的に受け入れる「子どもシェルター」が今年9月、旭川市内に開設された。行政が対応する児童虐待が増加する中、道内2例目となる“駆け込み寺”の開設に奔走したNPO法人子どもシェルターぽっけの村岡篤子理事長(70)に活動に込める思いを聞いた。(聞き手・旭川報道部 久保田昌子、写真・舘山国敏) ――開設のきっかけは。 「親から虐待を受けた1人の少女が『学び、働きながら保護してくれる場を』と訴えたのが始まりです。相談を受けた昨夏、少女は定時制高校に通いながらコンビニなどで働いていました。でも児童相談所の一時保護所に入ると、学校にもアルバイトにも行けなくなる。そのため自宅に戻らざるを得えない状況でした。現行の制度では対応できない子を救おうと、開設に動きだしました」 ――3カ月過ぎて、受け入れ状況はどうですか。 「実際の受け入れはまだですが相談は数件あります。虐待対応には児相や自治体など公的機関があり、私たち民間ができることには限界があります。でも子どもや保護者が頼ってくれるのは、公的機関に比べてハードルが低く、対応へのフットワークが軽いことがあるのかなと。私に対しても近所のおばさんという感じで、緊張せず悩みを打ち明けてくれます」 ――子ども専用の電話相談も続けていますね。 「2016年に始めた電話相談『キラキラ星』にこれまで寄せられた相談は延べ約1500件。いじめられて悩み、自傷行為に走るなど深刻なケースも少なくありません。電話相談を始める2年前、市内の公園を夜回り調査しました。たむろする子どもの多くは親から育児放棄され、夏は公園で寝泊まりし、冬は仲間の家を転々とする悲惨な生活でした。この時のやるせない思いもシェルターを作る動機になりました」 ――シェルター運営の課題は。 「運営に人件費や食費など月100万円かかります。ただ国からの補助は月十数万円で、市からはありません。そこでぽっけは比較的年齢の高い子の生活を支援する『自立援助ホーム』を併設しました。ホームには入所者の人数に応じて国から措置費が支給されます。ただそれだけでは運営できず、年間1口3千円からの支援会員を募り、日用品や衣類の寄付も歓迎しています。軌道に乗せようと仲間と頑張っています」 ――今後の目標は。 「行政と私たち民間が協力しあうことで、より多くの子どもが救われる。救う網に漏れがないよう市や関係機関と連携を強めていきたい。市民レベルでは子どもを見守る環境作りが急務。泣きながら電話したり、遅くまで公園にたむろしたりする子どもがなぜいるのか。シェルターに駆け込む手前で子どもを受け止める居場所づくりについて、みんなで考えたいですね」
*取材後記
行動力のある人だ。インタビューに出てきた少女との出会いから約1年で子どもシェルター開設を実現した。虐待を受けていた少女を一時、自分の家に住まわせたこともある。「『温かいご飯を食べるの久しぶり』と笑った顔がいとしくて」と一緒に暮らした日々を振り返り、今は別の場所で暮らす少女の幸せを「ずっと祈っている」と話してくれた。こんな大人が増えたら、旭川はもっと優しく温かいマチになる。
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