北海道新聞旭川支社
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ヒューマン

西勝洋一さん(75)*歌誌「かぎろひ」編集人*短歌にまつわるエッセー集出版*地元歌人の足跡を後世に  2017/08/27
にしかつ・よういち
1942年函館市生まれ。旭川東高卒業後、道学芸大旭川分校(現道教大旭川校)を経て教職生活に入り、主に道北の中学校で英語を教えた。現在は旭川歌人クラブ副会長や旭川文学資料館副館長などを務め、北海道新聞夕刊文化面「道内文学 短歌」の筆者。「短歌の周辺」は1500円(税別)。問い合わせは西勝さん(電)090・3897・8670へ。

 道内の短歌界で重きをなす西勝洋一さん(75)が、短歌にまつわる初めてのエッセー集「短歌の周辺」を自費出版した。「追悼の記」の章を起こし、交流の深かった道北の歌人・文化人が生前残した足跡に光を当てた。60年以上の歴史を持つ旭川の歌誌「かぎろひ」編集人でもある西勝さんに、先達への思いなどを聞いた。(聞き手・佐藤洋樹、写真・打田達也)

 ――出版のきっかけは。

 「短歌の世界に物言おうという大げさな気持ちではありません。教員生活を終えて15年たってみると、短歌の仕事が予想外に多くなり、文章を書く機会も増えました。短歌の話ではありますが、一般の人でも分かるエッセーをまとめたつもり。これまでに自作歌集は4冊出しましたが、今回が一番反響が大きかったかな」

 ――「追悼の記」の章を興味深く読みました。

 「鷹栖出身の詩人で歌人でもあった小池栄寿(よしひさ)さんは道内の公立高の校長を長く務めた人で、道北の小中学など53校もの校歌を作詞しました。私は大学時代、東京に発行所のある結社『短歌人』に入会したのですが、既に千葉県に移住していたベテラン同人の小池さんに、全国大会の席で声を掛けていただいたのがお付き合いの始まりでした。私の母校である旭川の旧北都中の校歌も、最後の勤務地になった士別の旧温根別中の校歌も、小池さんの作詞。詩人の小熊秀雄との交流など、小池さんには詩人として知られざる部分があります」

 ――士別の文化振興に貢献した斉藤昌淳(まさひろ)さんとも親交がありました。

 「私が士別に2回赴任したものですから、短歌の会もご一緒させていただいた。自分史を書き残す『ふだん記』活動を道内で最初に始めた方で、士別文化協会や士別文学学校の設立にも力を尽くしました。眼科医院を開業していましたが、文化ボス的な振る舞いは一切しなかったのです。士別神社に碑が立つ『直ちには海に下らず北を指す天塩川は北国の意志』の歌は、士別市民の心のよりどころになっている大河を詠み込んだ、斉藤さんの代表作と言えるのではないでしょうか」

 ――西勝さんが高校時代に所属した生物部の顧問だった大村正次さんの話も面白い。

 「旭川東高で歌い継がれる『逍遥(しょうよう)歌』の作詞者でもありますが、後になって大変な人だと知りました。作家で旭川生まれの井上靖が旧制四高(金沢市)で柔道に明け暮れていたころ、大村先生は北陸の詩誌『日本海詩人』の主宰者で、旧制高岡中学(富山県高岡市)の教師でした。井上はその大村先生に詩を書き送り、初めて活字になりました。井上の文学的出発に立ち会ったことだけは間違いありません。授業中に1回だけ『井上靖という作家の家に招かれたことがある』と話をされ、私は文庫本の『あすなろ物語』を読んでみたのです。その大村先生がなぜ旭川に来たのか経緯は分からない。謎の人です」

 ――文化を通した不思議な縁を感じます。

 「確かに短歌をやっていなければ、人と人とが思いがけぬ出会いでつながってゆく経験はできませんでした。道北の文化を支えた先輩たちの足跡を文章に残すのは、旭川で活動している者の義務です。短歌結社も高齢化が進み、組織を維持するのは大変ですが手軽な表現手段としての短歌は滅びない。中川町が主催し小中高生からも作品を募る『斎藤茂吉記念短歌フェスティバル』などから若い才能が育ってほしいと願っています」


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