北海道新聞旭川支社
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ヒューマン

只石幸夫さん(64)*カムイ大雪バリアフリー研究所会長*障害者福祉 活動の幅広げる*人間同士補い合う社会を  2017/05/28
ただいし・ゆきお
1953年旭川市生まれ。旭川工業高卒業後、サラリーマンを経て実家の建設会社役員に。木製品製造販売業などを営む傍ら、2006年にカムイ大雪バリアフリー研究所を設立。11年にNPO法人となった。旭川観光コンベンション協会常任理事など公職も多い。

 誰もが暮らしやすい優しいまちづくりを目指し、障害者や大学、病院、観光業界などが集まって結成したNPO法人カムイ大雪バリアフリー研究所。障害者スポーツの振興やバリアフリー観光の普及など、活動の幅を広げている。設立当初から会長を務めている只石幸夫さんに障害者福祉に関わる思いを聞いた。(聞き手・旭川報道部 西村卓也、写真・野沢俊介)

 ――バリアフリーの問題に取り組むきっかけは何だったのですか。

 「今から20年ほど前、異業種交流が盛んだったころ、ある会合で車いすに乗った福祉施設関係者に出会い、意気投合して友達になりました。知恵を出し合ってだれもが住みやすいまちづくりを構想するようになったのです」

 ――具体的にはどのような活動を。

 「スポーツに着目しました。当時は障害者スポーツ人口もまだ少ない状態。1998年の長野パラリンピックで地元出身の選手が活躍したことなどで、企業経営者らで支援の会を立ち上げました。日本代表チームの合宿を招致し、ボランティアがサポートする受け入れ態勢でした」

 ――その後障害者スポーツも普及しましたね。

 「旭川は全国の中でも先進地だと思います。合宿で全国から選手が集まると、ホテルなど市内の施設が利用しやすいか、分かります。私たちはさまざまな施設を調査し、課題を整理し、アドバイスをする活動を展開しました。バリアフリー観光の取り組みです」

 ――農業分野との連携も進めているようですが。

 「農業と福祉の『農福連携』と呼んでいます。たとえば障害者であってもドローンを操作して農作業に従事することは可能です。トレーニングを積んで、自分の道を見つけていくことが大事です」

 ――困難に直面することはないですか。

 「障害を持つ人がいろんな分野に入っていくのは難しい。周囲の支えが必要です。しかし、時間をかけてやれば達成できることはたくさんあります。最近は難病を持つ施設利用者が作ったレシピ本が評判です。浮かんだ料理のアイデアを仲間も手伝って本やネットで発信しています」

 ――障害者福祉の現状をどう見ますか。

 「まだ引っ込んでいる人がたくさんいます。私はその人たちを表に引っ張り出したい。私たちの就労継続支援施設を『チーム紅蓮(ぐれん)』と名付けたのも、愚連(ぐれん)隊のような風情でいいから、人の目を気にせず街に出て行けという思いからです。少し穏やかに『紅蓮』という字にしましたけどね。人それぞれ弱い所、強い所がある。それを補い合うのが社会ではないかと思います」


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