北海道新聞旭川支社
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ヒューマン

芦原高穂さん(64)*旭川兵村記念館友の会会長*東旭川の歴史掘り起こす*心のよすが残したい  2017/03/26
あしはら・たかほ
 1952年、曽祖父から代々続く旭川神社の宮司の家に生まれ、75年に皇学館大卒業後、同神社の神職に。2000年に4代目宮司に就任。旭川兵村記念館友の会が発足した2011年から会長。歴史調査を続けながら玉川大の通信教育で学芸員資格を取得した。

 旭川市の東旭川地区は明治期に屯田兵が入植し、早くから開けた地域。郷土の「博物館」として親しまれる旭川兵村記念館には、昔の農機具や生活用品などの歴史遺産が展示され、開拓の苦労をしのばせる。その運営を支える「友の会」の会長で、隣接する旭川神社宮司の芦原高穂さんに、東旭川の歴史研究にかける思いを聞いた。(聞き手・旭川報道部 西村卓也、写真・野沢俊介)

 ――兵村記念館は今年で開館35周年ですね。

 「1963年に旧東旭川町が旭川市と合併したころから、旭川神社の宮司だった父が郷土資料の保存に力を入れ、境内で展示したのが始まりです。きちんとした形にと、地域に記念館建設の期成会ができ、財団法人の設立も許可され、82年に開館となりました」

 ――芦原さんはそのころどうしていたのですか。

 「宮司を補佐する禰宜(ねぎ)として父を手伝っていました。地域から情報を得て古い農家の納屋から生活用品を譲り受けるなど、資料集めをしていました」

 ――友の会ができたきっかけは。

 「郷土史の研究成果を発表する場として発足しました。数人が核となって年1回の会報を発行しています。広く会員を募って運営を支え、現在、個人、法人合わせて300人ぐらいが登録されています」

 ――これまでにどんな成果がありましたか。

 「明治時代に旧陸軍第7師団が作成した『上川地方迅速測図』という文書が見つかりました。そこには現在の東旭川地区で水田開発が驚くべき早さで進んだことが記されています。もともと水はけの良くない土地で、兵村周辺に張り巡らせた排水口を水田の灌漑(かんがい)溝として利用したようです。畑作よりも稲作に特化したわけです。上川地域では先に稲作を手がけた地域もありますが、東旭川地域は産業としての稲作の先駆けだと自負しています」

 ――地域の人々にとっては、貴重な資料ですね。

 「旭川市に合併され、職住が分離される中、人々の土地への執着が弱まって、古い歴史を持つ東旭川に住んでいるという意識が人々から薄れていったように思います。地元への心のよすがを残しておかないとマチの誇りがなくなりはしないかと危惧しています」

 ――友の会は今後どんな活動に力を入れますか。

 「いま、メンバーで展示品のデータ化を進めています。収蔵品約2800点の写真や寸法などの情報をまとめた台帳を今年中に完成させる予定です。地域ごとの歴史調査も続けており、今年は桜岡、倉沼両地区を調べて特別展を開きます。地域の歴史を掘り起こし、それを財産として残していきたいと思います」


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