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たにめ・もとき
1967年函館生まれ。函館東高卒業。からくり人形の本場の岐阜県飛騨地方の専門学校で木工の基礎、山梨県の工房でオルガンづくりを学び、95年に檜山管内厚沢部町にアトリエを設立。2004年に函館に戻ったが、妻と3人の息子の理解を得て、単身で下川に移住した。 |
18、19世紀に欧州で普及して街頭やサーカス、ダンスホールなどで多くの人々を楽しませた手回しオルガン。谷目さんは国内では数少ない作家の一人だ。2015年12月に函館市から下川町に移住後、1年間はオルガン作りを休み、町内のNPO法人森の生活(麻生翼代表)で働きながら木材の知識を深めてきた。新年からオルガン製作を再開した職人の思いを聞いた。(聞き手・名寄支局 成川謙、写真も) ――手回しオルガンとの出合いは。 「生まれ育った函館を出て東京で浪人生活を送っていた19歳の時、目白の街角で外国人が木の箱から柔らかな音を出しているのを偶然聞いて衝撃を受けました。その外国人に教えられた都内の小さなオルゴール博物館に駆け込み、ドイツやオランダなどで用いられた手回しオルガンだったと分かりました。当時は国内に作家がおらず『自分が職人になる』と決心しました」 ――どんな仕組みで音が出るのですか。 「風を送るふいごと風で開閉する空気弁、40本ほどの木笛からできています。ハンドルを回して折りたたみ式の紙『ブック』をオルガンの中に通すと、ブックに開いた複数の穴を空気が抜けて弁を通り、対応する木笛を鳴らします。奏者はブックと連動したふいごのハンドルを回すだけなので、誰でも簡単に主人公になれる魅力があります」 ――職人への道は。 「岐阜県などで木工の基礎やオルガンづくりを学んだ後、1993年に函館に戻り、95年に檜山管内厚沢部町にアトリエを開いて独立しました。千葉県柏市のレストランに納めたオルガンが最初の作品で20年間に年1、2台、30台近く作りました。後志管内泊村の北電原子力PRセンターの高さ3メートル、幅6メートルの作品が最大です」 ――下川への移住の理由は。 「オホーツク管内西興部村の道の駅にある作品を点検するため毎年夏に2週間~1カ月、知り合いに下川町の山小屋を借りて通っていました。電気も水道もない、携帯もつながらない中、川水をくみ、まきで風呂を沸かす生活が新鮮で楽しかった。11年の東日本大震災後に一人の人間として自給自足ができることの重要性を感じ、改めて下川での生活体験が心に残りました。木工機械が自由に使える木工芸センターがあるのも理由の一つです」 ――オルガン製作を一時休んでいましたね。 「準備が整わなかったという事情もありましたが、せっかく林業が盛んなマチに来たので木の勉強をしたかった。NPOでは週4日、広葉樹材の活用事業を担当し、残り3日は山を歩き、森林組合の人に話を聞くなど勉強の時間に費やしました。それまでの自分は『木を見て森を見ず』だったと痛感しました」 ――今後の抱負を。 「職人としてゼロからのスタートという気持ちです。既に数件の製作依頼があり、ワクワクしています。材料は全て下川町産木材を使います。初めてで不安もありますが、ミズナラ、シラカバなど良質な木材からどんな和音が奏でられるか、本当に楽しみです」
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