北海道新聞旭川支社
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ヒューマン

星野由美子さん(89)*旭川の劇団「河」代表*31年間の活動休止経て復活へ*「女蜷川」熱い芝居挑む 2017/01/15
ほしの・ゆみこ
1927年、旭川生まれ。父は「大雪山の北修(ほくしゅう)」と呼ばれた画家高橋北修。市立高等女学校(当時)卒業。小学校代用教員、幼稚園教員を経て、58年に美容室を開業、80歳まで店に立った。作家三浦綾子さんも来店した。幼稚園勤務の傍ら、NHK旭川放送局の「専属歌手」としてイベントなどに出演したこともある。

 1970年代から80年代にかけて熱気あふれるステージで注目を集めた旭川の劇団「河(かわ)」。31年間の活動休止期間を経て今年7月、「復活公演」を市内で行う。創設メンバーで代表の星野由美子さん(89)=旭川在住=も舞台に立つ。以前は、俳優兼演出家としてけいこ場に怒声を響かせ、団員から、厳しい演出で知られる故蜷川幸雄さんにちなんで「女蜷川」と呼ばれた。演劇へのほとばしる思いを語ってもらった。(聞き手・旭川報道部 藤田香織里、写真・打田達也)

 ――河は1986年まで27年間活動。「アングラ演劇の旗手」と呼ばれた唐(から)十郎さんの「二都物語」、清水邦夫さんの「鴉(からす)よ、おれたちは弾丸(たま)をこめる」など、話題作を上演して道内外から注目されました。劇団員には達成感とともに、星野さんに「とにかく怒鳴られた」と聞かされました。

 「何かを作り上げることは覚悟を決めること。役者をとことん追い詰めてこそ、良いものができると信じています。私たちは、芝居の勉強をちゃんとしたプロではないが、お金を取ってお見せする以上、半端なことはできない。つまらないものはやらなかったと、今も自信を持って言えます」

 ――約束を取り付けぬままま東京に唐さんを訪ね、上演許可をもらいました。

 「若手が『唐さんの作品をやりたい』と希望したからです。実は私は気乗りがしなかった。作品が難解だ、と。公演先を訪ねてあいさつすると『俺の芝居、分かるかい』と聞かれました。正直に『分からん』と答えたのがよかったのかしら。『必要なものは貸すよ』と言ってもらえました。今も忘れないのは、けいこを重ねるうちに、霧が晴れたと感じる瞬間があったこと。『分かった』ってね」

 ――「分かる」ですか。

 「とことんこだわると、見えてくるものがある。せりふを繰り返し口にして、行間に思いをはせ、登場人物や情景に肉付けしていく。そうやって向き合ううちに皮膚感覚で何かがつかめる。言葉が、演じ手の血肉となり体の内からわき上がってくるんです。分かったつもりはだめ。上っ面な芝居で心に響かない。昔も今もやりたいのは、見る者の心をわしづかみにするエキサイティングな芝居です」

 ――河ファンだった著者が活動を振り返る書籍「“あの日たち”へ」(中西出版)刊行が復活の契機に。

 「活動休止は、仕事や家族の事情などによる退団が相次いだことがきっかけ。最盛期に約20人いた劇団員が、4人にまで減り、芝居に必要な熱気が薄れてしまった。でも、解散は頭になかった。いつかだれかに引き継いでほしかったから」

 ――復活公演の演目は河リジナルの代表作「詩と劇に架橋する13章」。吉本隆明らの詩がモチーフです。

 「劇団員や公募で集まった演劇初心者の学生ら10人ほどで、けいこに励んでいます。もちろん私は最高齢。酸素ボンベを使うようになった今、せりふのどこで息継ぎをするかが大きな課題。模索しているところです。でも、見る人の心に『何か』を届けたい。31年ぶりの挑戦です。わくわくしちゃう。私の中で芝居に対する情熱のほむらが大きく燃え上がっています」


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