北海道新聞旭川支社
Hokkaido shimbun press Asahikawa branch

ヒューマン

長尾英次さん(44)*ジャパチーズ社長*大震災を機に移住*チーズ通じ旭川を発信  2016/11/13
ながお・えいじ 1972年、宮城県生まれ。実家は酪農家。酪農学園大卒業後、米国での酪農実習を経て、2014年まで一般財団法人蔵王酪農センター(宮城)勤務。今年9月、旭川しんきん創業アワード受賞。ジャパチーズ旭川の営業時間は午前11時~午後6時。月曜定休。

 東日本大震災をきっかけに、故郷の宮城県から妻の実家のある旭川市に移り住み、中心部の平和通買物公園にチーズ工房兼店舗を構えて、12月で1年。ジャパチーズ社長の長尾英次さん(44)は、旭川に根ざしたチーズ作りを目指している。チーズ作りに込める思いを聞いた。(聞き手・旭川報道部 藤田香織里、写真・大島拓人)

 ――工房内が、牛乳のほんのりと甘い香りで満たされていますね。

 「今、チーズの原料の牛乳を加熱し、殺菌していますから。牛乳は朝、直接取引先の市内の加藤牧場を訪ね、頂いてきたものを使います。牛乳の品質は、温めた時の香りで分かります。残暑の時期など、牛が体調を崩すと、香りも悪くなるが、それがない。最高の牛乳です。旭川で新鮮な牛乳を使うチーズ作りに手応えを感じています」

 ――宮城からの移住は、予期しないことでした。

 「チーズ作りに励んだ宮城の勤務先で、定年退職を迎えるつもりでした。ところが、妻が旭川で次男を里帰り出産した直後に、東日本大震災が発生。東京電力福島第1原発事故の影響で、自宅のある町の一部も除染対象になりました。幼い2人の息子の健康を心配する妻は、旭川に残り、2年前の10月まで、離れ離れの生活が続きました。妻の心配も分かりますが、故郷を離れることは、宮城の復興の一助にと懸命に働く同僚らを裏切ることになるという罪悪感も拭いがたかった。随分悩みました」

 ――決め手は。

 「やっぱり家族です。息子たちにも負担をかけた。家族と自分の人生を優先しよう、と。旭川に来てすぐにチーズ作りのための起業の準備を始めました。資金の一部は、市の第三セクターと道北地域の4信用金庫とでつくるファンドからの出資で賄いました。私たち夫婦の代わりに、子どもの遊び相手までしてくれる買物公園のみなさんなど、多くの人に支えられています。さすが旭川はものづくりのまち。若い人を育てようという土壌がありますね」

 ――こだわりは「クセのないチーズ」ですね。

 「前の職場で、青カビを使うブルーチーズの商品開発を手がけ、全国コンテストで最高賞を獲得しました。自慢の品でしたが、売店でよく、食べやすいチーズはないかと尋ねられた。追求したいのは、チーズの奥深さより、日本人の食べやすさ。ワインやチーズの愛好家だけではなく、老若男女、幅広い方の食卓をチーズが彩ってほしい。Japacheese Asahikawa(ジャパチーズ旭川)という店名にそんな思いを込めています」

 ――今後の抱負は。

 「旭川や上川管内の誇る豊富な食材を使ってチーズを作っていきたい。今秋から、旭川の谷口農場の有機トマトを混ぜたチーズを販売していますし、大雪地ビールの黒ビールを使う商品も発売予定。チーズで、旭川の名を広められれば、世話になった方への恩返しにもなると考えています」


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