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おうぎ・みのる
1951年、上川管内永山村(現旭川市)生まれ。旭川西高卒業後、実家の稲作を手伝い90年から当麻でバラ栽培専業に。97~2002年、07~12年に当麻町花き生産組合バラ部会長。全国花き品評会など道内外のコンテストで入賞歴多数。
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道内一のバラの生産地である当麻町。まだ花が農家の産品として定着していないころからバラ栽培に取り組んできた黄木実さん(64)の花は、その品質の高さで道内外に知られる。バラづくりにかける長年の経験と、培ってきた技術の妙、将来に向けた思いを聞いた。(聞き手・旭川報道部 西村卓也、写真・打田達也) ――バラ栽培に取り組むことになったきっかけは。 若いころは父の稲作を手伝っていましたが、減反政策で規模拡大が難しくなり、少ない面積で収益を期待できる花の栽培に着目しました。九州で実習してノウハウを学び、レンゲツツジなどの栽培を始めました。専業化には困難が伴い、一時別の仕事に就きましたが、花への夢は諦めず、39歳の時にバラを始めました。当時、外国のコンテストで旭川のバラが入賞したのを知り、適地だと考えたのです。 ――バラ栽培にも困難はあったのでは。 稲作や畑作に比べ、花の栽培は設備にお金がかかるのが大きな障害です。農協が初期投資の分を融資してくれたのが救いでした。自分の貯金は運転資金に回してなんとかスタートできたのです。しかし、あと1、2週間で初出荷という時に花が病気にかかり、すべて切り落とすという失敗を経験しました。油断したんですね。でも、土台となる幹の部分は残り、新しい花が出ました。2カ月遅れの初出荷となり、旭川の市場が買い支えてくれました。 ――高い品質を保つ工夫はあるのですか。 バラにはたくさんの品種があり、育て方がそれぞれ違います。特性をとらえて温度管理や水、堆肥の量を微妙に調節していくんです。最近はロックウールという人工繊維を鉢に入れて使う農家も増えていますが、私は土でのびのび育てる。出荷後の花を日持ちさせるためには、少し水やりを控えて乾燥に耐える力を養うのがコツです。そうすると水を吸い上げる力が備わって長持ちします。 ――花の生産現場は後継者難だと聞きますが。 私も後継者がいません。探した時期もありましたが、見つからなかった。若い人たちは規模の大きい農業に行く傾向があります。交付金が期待できる作物が多いからです。バラなど花の農家には行政のサポートがあまり厚くない。日本の国土の狭さを考えると、規模が小さくても収益の大きい農業を育てる方がいいと思うんですが。 ――具体的にどんな施策が必要ですか。 設備に対する補助だけでなく、作物に対する補償を充実させてほしい。花づくりに失敗したときに助けてくれる制度があれば、若い人もチャレンジできるはずです。
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