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みやけ・よしまさ
1943年、小樽市生まれ。都留文科大卒業後、道内の高校の国語科教諭に。旭川工業、鷹栖などで教えた後、東川、旭川東栄両高で校長。2003~08年に東川町教育長。生徒指導の担当が長く、学校現場での経験をつづった「闘ってこそ校長!」の著書も。
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「さまざまな国の若者が言葉の壁を越えて仲間となれるように」との願いを込めて東川町が日本語学校を発足させたのが昨年10月。設立準備段階から関わってきた三宅良昌校長(73)は教員経験を生かして自らも教壇に立ち、世界各国の生徒と心を通わせている。市町村立の日本語学校は全国初。国際化に力を入れる小さな町の大きな挑戦に取り組む思いを聞いた。(聞き手・旭川報道部 西村卓也、写真・野沢俊介) ――まもなく設立から1年を迎えますが、運営は軌道に乗ってきましたか。 「生徒たちの日本語能力試験の合格率が伸びており、手応えを感じています。5段階あるレベルのうち最も難しいN1レベルで合格率は45%と、他の日本語学校よりもいいはず。午後から夕方にかけて補習をしっかり行っていることが効果を生んでいるのでしょう。『東川へ行って学べば力が付く』というイメージをつくることが大事です」 ――校長に就任する時はどんな思いでしたか。 「町は2009年、韓国から学生を受け入れて日本語を研修させる事業をスタートさせました。その後、受け入れる学生は中国やタイ、ロシアなどに広がり、これが今の日本語学校の基盤となったわけです。私は町の『教育総合振興スーパーバイザー』として関わっていました。東川町は農業人口が減少するなど、新たな道を切り開く必要に迫られています。松岡市郎町長は国際化に活路を見いだそうとし、町立日本語学校を決断しました。その考えに賛同し昨年、校長の職を受けることにしました」 ――これまでに見えてきた課題は何でしょう。 「当初は教える人材を確保することが大変でした。初歩的な『あいうえお』から教えるクラスもあるので、小学校の教員経験者などを探しました。いまは学校を出た後の進路を探すことですね。日本語を学んだ経験を仕事に生かせるよう、ビジネス学科を立ち上げられればと考えています」 ――外国の学生が相手なので、苦労も多いのでは。 「生徒のお国柄はいろいろですが、心がけているのは『日本流』。校訓に掲げた『和敬清寂』は世界は一つでみんな平等だという意味です。あいさつ、笑顔、思いやりの大切さを知り、世のため人のために生きる人材を育てる。それが私の信条です」 ――将来、日本語学校はどんな姿になっていると思いますか。 「世界から生徒が集まって東川が『小地球村』と呼べるような多様性のある町になればうれしく思います。世界では戦争やテロが絶えませんが、『この町にきたらみんなが仲良くなれる』と言われる場所になってほしいです」
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