|
さとう・じゅんいち
1967年、札幌市生まれ。2002年に剣淵町で離農した農家の納屋を借り、家具工房たいむを開設。08年に和寒町に移転した。06年、丈夫な紙ひもを編んで座面にしたタモ材の椅子で「暮らしの中の木の椅子展」初入選。趣味は、仕事の合間に大型バイクで道内をツーリングすること。見学などは家具工房たいむ(電)0165・32・2515へ。 |
2005年に閉校した旧中和小校舎で「タイムデザインウッドワークス 家具工房たいむ」を主宰する佐藤順一さん(48)は、和寒町で唯一の家具職人だ。音威子府村にアトリエを持っていた彫刻家砂澤ビッキさんの木彫作品に魅了され、29歳で脱サラ。上川北部で17年にわたり、家具作りに取り組んできた。故郷の札幌で展示会をしながら、元図工室の作業場で道産材を使った椅子やテーブルを作っている。(聞き手・士別支局 後藤耕作、写真も) ――大消費地から離れた小さな町で、どんな風に仕事をしているのですか。 「ホームページなどを見てくれたお客さんから注文を受けて、ダイニングセットから棚まで、何でも作っています。写真立てなどの小さな木工品も作ります。家具メーカーの下請けの仕事もしましたが、ここ2~3年は、個人の注文家具が中心。仲間と札幌で場所を借りて展示会をすれば、工房が和寒にあっても都市に向けて販売できるのです」 ――大量生産品が安く売られています。手作り家具の良さをどう伝えますか。 「手作り家具は割高だけど、何十年も愛着を持って使い込めるのが魅力。それを伝えるのが展示会です。季節の変わり目や家族が増えたタイミングで購入を考える人が多いですが、意外に自分の希望が分かっていない人もいるので、部屋のように家具を並べて、イメージを広げてもらいます。シンプルだけど温かみのある、優しい木の家具を作りたい。そして自分の家具で一休みしてほしい、と思っています。それには、お互いのイメージを話し合うことが大切だと思うのです」 ――職人を目指したきっかけは何だったのですか。 「小樽商大を出て、横浜で営業マンをしていた26歳の時、砂澤ビッキさんの個展を見ました。繊細な造形の数センチの虫や数メートルのオブジェなど、木の豊かな表情に驚きました。物作りは好きでしたが、家具工場などを営業で回るうち、北海道に戻って職人を目指してみようと決心しました」 ――道北の地との縁は何だったのですか。 「29歳で退職し、北見高等技術専門学院で2年間学びました。30歳を過ぎていたので就職は苦労しましたが、空知管内の旧栗沢町にあった『家具工房ニングル』で修業をすることに。工房の剣淵町移転を手伝い、自分も剣淵で独立しました。そこが手狭になったころ、旧中和小を借りる話があり、08年に移ってきました。上川北部に来てもう17年。ビッキさんも音威子府にいたし、不思議と上川北部にひかれたのだと思います」 ――道北は森も豊かです。和寒町の森も生かしていけるでしょうか。 「職人が1人で木材の調達までやるのは大変です。下川町などでは、家具に向くクルミ材やタモ材を選別できるような人材を育てる取り組みも始まっています。和寒町は今は燃料やパルプなどに使われる木が多いですが、収穫の秋や雪深い冬といった四季を肌で感じられるこの土地にいるからこそ、地元の木を家具に使っていくのも面白いですね」
|