北海道新聞旭川支社
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北極星

藤沢隆史(礼文町教委主任学芸員)*開拓者たちのふるさとへ~その後  2019/10/07

 前回7月に、青森県旧三厩(みんまや)村において礼文島の近代開拓者に関わる資料調査を行うと書きましたが、9月中旬に現地を訪問し、貴重な情報を入手することができました。

 元宇鉄(もとうてつ)・上宇鉄(かみうてつ)地区の神社では、礼文島元地(もとち)で漁場を経営した柳谷文蔵と、礼文島手然(てしかり)で漁場を経営した柳谷慶治が明治・大正時代に奉納した絵馬が現存していることがわかりました。

 また、三厩に多数の檀家(だんか)を有する今別町本覚寺の調査では、本堂修理などの寄付者名に、駒谷三蔵や柳谷善太郎、三浦清太郎など礼文の親方衆の名前を見つけることができました。

 さらに、上宇鉄に住む礼文島和人移住者第1号の柳谷万之助を祖とするイリナカ柳谷家のお宅では、万之助の土地権利証をはじめ、漁場の収支簿や漁夫の雇入帳、物資運搬用の所有船の積み荷目録などの資料を多数確認することができました。ちなみに、ご主人と息子さんは、かの有名な津軽海峡のクロマグロを狙う一本釣り漁師で、2人が乗る船の名前は「清運丸」。ニシン漁時代の柳谷家が所有した船と同じ船名です。

 かつて礼文島においてニシンで財を成した柳谷家は、今は故郷三厩でマグロを糧として暮らしています。この度の調査によって、今でも海と共に生きている柳谷家の長い歴史を垣間見ることができました。


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