北海道新聞旭川支社
Hokkaido shimbun press Asahikawa branch

北極星

谷龍嗣(留萌・僧侶)*3歳児の修行  2019/09/22

 20年ほど前、横浜市にある大本山總持寺(そうじじ)で修行していました。大学時代とは一変。朝4時に起床後、坐禅(ざぜん)、本堂でお参りをし、おかゆを作法にのっとっていただきます。食事後、間髪入れずに大太鼓が鳴り響き、作務(さむ)といって掃除が始まります。中でも長い廊下の雑巾がけは大変でした。

 修行に必要なのは「忍耐」と心に決めていましたが、実は「その場、その時」を受け入れることでした。一所懸命に行っていると、自然と一つ一つの意味もわかり、新たな自分の成長につながっていました。

 先日、3歳の息子と留萌の黄金岬に磯カニ釣りに行き、そのことを思い出しました。針金をS字に折り曲げ、その先にイカを付けて、岩と岩の間に垂らします。しばらくすると、餌に寄って来るカニたち。しかし、うちの息子は我慢ができず、すぐに針金を上げ、カニは逃げていく。

 案の定、カニが釣れずに息子は大泣き。「少し我慢をして、カニさんが餌を食べてからゆっくり上げるんだよ」と伝え、挑戦すること30分。ようやく1匹のカニがバケツの中に入ってくれました。

 最後に、カニを海に戻す時、「バイバイ、またね」と笑顔の息子。忍耐や我慢の本当の意味は「その場を耐える」ことではなく、「その経験を受け入れ、精進すること」と思い出しました。


戻る