長い間、尊厳死について講演活動を行って来ましたが、十数年前と比べると世間の理解は隔世の感があります。当初は講演会場を借りたくても「縁起が悪い」と断られました。「尊厳死のための薬があるか」と聞かれたこともあります。 尊厳死への理解は、講演活動と、北海道新聞「朝の食卓」や、あさひかわ新聞「最期の在り方」への執筆、会員有志で作った「ぴんころ劇団」の公演などで地道に広めてきました。 医療の発達は、昔なら助からない病から人々を救うようになりました。皮肉にもそれが末期患者の命をいたずらに引き延ばし、苦痛を強いるようにもなったのです。「医者がどうにかしてくれる」などと甘いことを言っている場合ではありません。現在の日本では健やかに生き、安らかに死ぬ権利が保障されているとは言えません。自分の身は自分で守るしかないのです。 尊厳死と言うと、お年寄りのものと勘違いする方もいますが、そうではありません。子供から高齢者まで人生に真摯(しんし)に向き合い、責任を持って生きるためのものです。「死」は「生」の延長線上の一点でしかありませんから、尊厳死の学びは「尊厳生」の学びそのもの。昨今の悲惨な事件を見聞きするたび、命や生きることについて誰もが真剣に向き合ってほしいと願わずにはいられません。
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