北海道新聞旭川支社
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北極星

藤沢隆史(礼文町教委主任学芸員)*開拓者たちのふるさとへ  2019/07/28

 礼文島の近代開拓は、豊富な水産資源を目指して青森県津軽地方からやってきた漁業者たちによって始められました。彼らの大半の出身地は竜飛崎に近い旧東津軽郡宇鉄村(現外ケ浜町字三厩宇鉄)です。

 江戸時代最末期に礼文に渡り、漁場開拓の祖となった柳谷万之助は同村元宇鉄の出身であり、その数年後に渡島した牧野幸吉や秋田栄吉、後に礼文王と称されるほど成功を収めた駒谷三蔵もみんな宇鉄出身です。

 明治時代に入ると、宇鉄からは先駆者の親戚縁者、さらに近隣の釜ノ沢村や藤嶋村からも渡島者が相次ぎます。加えて、廻船業者や商工業者なども増加し、1878年(明治11年)に4村が置かれて開拓が本格化していきます。

 ここ数年、柳谷万之助を祖とする柳谷家関連資料の調査を進め、島内で一定の成果を得ました。そこで今年の秋、柳谷家筆頭であるイリナカ(屋号)柳谷家をはじめ、親戚関係にある柳谷家、釜ノ沢出身者や藤嶋出身者に関する調査を三厩で行うことになりました。

 150年以上も昔、艱難(かんなん)辛苦に耐えて礼文島を拓(ひら)いた人々のふるさと三厩。遠き津軽の地で礼文島の記憶をたどる調査は開拓資料調査の総仕上げであり、その成果は島民にとって先人の偉業に思いを馳(は)せ、往時の繁栄を偲(しの)ぶ第一級の遺産となるでしょう。


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