先日、今回の令和への改元にちなんだ新聞記事で、江戸時代の元号の選定について研究を発表した人の名を見て驚いた。その人は私が大学時代にお世話になった先輩で、今は東京の大学で教授を務めている。 中国の学問と制度の関係をテーマに、コツコツと研究に取り組む姿が印象的だった。私が大学を卒業してから個人的な交流はなくなったものの、折に触れて活躍を耳にしていた。今回その地道な研究の一端が世間の耳目を集め、感慨深いものを感じる。 先輩の専門分野からすれば、今回の研究は余技にすぎないだろうが、その余技でさえ大いに注目されたのは、これまでの長い学究のたまものだろう。 そしてわが身を振り返ると、学問でどうこう言うのはおこがましいとして、他に何か身につけたものはあるか、成果を挙げたことはあったかと、忸怩(じくじ)たる思いがする。多忙を理由にするのは簡単だが、やはり継続し続ける意志が足りなかったのだろう。 ただこの日々の中でも、かけがえのない出会いがあり、学びの機会があり、育てることができる種を見つけてはいる。焦ったところでしょうがない。成長の種を育てていこう。そういえば「老子」の言葉にもこうあった。「急いで大股で歩いたところで、そう先に行けるものではない」と。
|