北海道新聞旭川支社
Hokkaido shimbun press Asahikawa branch

北極星

石川千賀男(旭川・公益財団法人理事長)*漂泊の詩人啄木と旭川  2019/01/13

 1886年(明治19年)に現在の盛岡市に生まれた漂泊の詩人、石川啄木は北海道に縁が深い。釧路新聞社に職を得た啄木は、小樽から釧路に向かう途中、旭川で1泊した。1908年(明治41年)1月20日。午後3時15分に旭川駅に下車し、旧西武旭川店B館の地にあった宮越屋旅館に投宿した。

 旭川の印象を日記「雪中行」に記している。「流石(さすが)は寒さに名高き旭川、雪も深い札幌に似ていて、曲がった道は一本もなく電柱が一直線に立ち、気持ちがいい。旭川はアイヌ語で、チウベツ(忠別)と云(い)うそうな、チウは日の出、ベツは川、日の出る方から来る川という意味なそうだ」

 啄木は翌朝6時30分の釧路行きの汽車に乗車した。旭川の印象を詠んだ歌は4首。「名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の 宿屋安けし 我(わ)が家のごと」「今夜こそ思ふ存分泣いてみむと 泊まりし宿屋の 茶のぬるさかな」―。

 最後の一首は「水蒸気 列車の窓に花のごと凍てしを染むる あかつきの色」。この朝は氷点下27・1度だったという。啄木の没後100年の2012年、全国有志の募金でJR旭川駅構内の旭川観光物産情報センターに歌碑付きの啄木像が建立された。啄木は汽車の窓から冬景色を眺めています。ぜひともこの像を見てほしいと思います。


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