雪化粧した朝のこと。電力で蓄熱するストーブの上に、小学2年の娘がちょこんと座って歯を磨いていた。 幅2メートル、奥行き30センチの大きさはちょうど子どもが乗りやすく、座るとお尻がほどよく温かい。全体を包む鉄板は頑丈で、子どもの体重で壊れてしまうほど華奢(きゃしゃ)ではないように思われる。 それでも機械は雑に扱わない方がよいと思うし、暖を取る熱源に座って歯を磨くという行為が、なんだかストーブをばかにしている気がするので、私は少し嫌な顔をして「降りなさい」と言ってしまう。 今住む家はオール電化住宅というやつで、料理も電磁調理器でする。大切な水さえも近隣の井戸から電動ポンプでくみ上げているので、停電になればストップする。火は普段の生活ではほぼ見ない。 アイヌの人たちにとって火は大切なものだ。暮らしを支える熱源であり、神様のひとつであるから。 まきストーブで暮らした祖父の世代にもそんな感覚はあったのだと思う。 私や娘のなかに「火の神様」は少しだけいる。でも最も頼っている「電気の神様」はいない。電気だって火の力で作られるのに、電線を通るエネルギーになった途端に神々しさを失うのだろうか。 理屈で知る電気の大切さ。どこかに行った心。バランスの悪い感触が胸に残った。
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