北海道新聞旭川支社
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北極星

石川千賀男(旭川・公益財団法人理事長)*蝦夷地開拓構想に思う 2018/10/15

 北海道命名の2年前の1867年、志半ばで暗殺された坂本龍馬は蝦夷地(えぞち)開拓という壮大な構想を描いていた。彼の手紙には蝦夷地に渡り新国を開く夢が語られ、晩年の友人に宛てた手紙には「戦争が起きたらそれにかかわらず、わが海援隊の船で、蝦夷地へゆけ」と書き残している。

 龍馬の蝦夷地行きは、見果てぬ夢に終わった。それから30年後、彼の夢を引き継ぐかのように、おいの直寛が北海道に渡り、開拓に取り組んだ。自由民権運動家でキリスト教牧師の直寛は、北見クンネップ原野や空知管内の浦臼、札幌など道内各地に足跡を残した。

 旭川には1902年11月、日本キリスト教会旭川教会の伝道師として赴任した。その彼を訪れたのが長野政雄。鉄道事故を題材にした三浦綾子さんのベストセラー小説「塩狩峠」の主人公永野信夫のモデルである。直寛は長野によほど好感を持ったようで、教派を超えて祈祷(きとう)会を行った。

 これらのことを歴史作家の好川之範さんが著した「坂本龍馬 志は北にあり」を読んで知った。三浦綾子文化財団と旭川龍馬の会に関わる私は、こうした縁に驚き、感動を覚えた。もし龍馬が暗殺されなかったら、どんな北海道を築いたのだろう。「世界の海援隊」を口にしていた龍馬は、この地から貿易で世界に打って出たのではと夢を見る。


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