「人口3万都市でのオーケストラは無理だ」と思っていた。
士別でバイオリンを弾いていたのはかつて、便利屋と内装屋のおじいちゃんぐらいだった。後に高校の先生など弦をたしなむ人が何人か移り住んできたが、ピアノ教室はたくさんあるのにバイオリン教室は一つもない。子どもたちが弦楽器の演奏を体験できる環境はなかった。子どもの多かった時期、中学高校の吹奏楽の活動は盛んで、一部の大規模校のブラスバンドはコントラバスを編成に入れていたが、上川北部地方には管弦楽への動きがまるでなかった。
名寄市において、待望久しかった市民ホール「エンレイホール」の誕生と連動して、青少年のオーケストラ編成に向けての取り組みがスタートしたことは、驚きであると同時に極めて喜ばしいことだった。
少子化による児童生徒数の激減という状況の中で、この取り組みは容易なことではない。けれど、昭和50年代に「名寄で第九を歌おう」という呼び掛けに応じて参画した近隣市町村の人たちは、それぞれのまちで合唱団を立ち上げ、道北地域の合唱の輪は大きく広がった。オーケストラへの取り組みも上川北部全体に広がり、地域の自前のオーケストラによる「第九」が大きく響き渡る日が来ることを夢見ている。
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