北海道新聞旭川支社
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北極星

 佐藤アレーナ(留萌・主婦)*北海道へのメッセージ  2018/03/13

 150年前に松浦武四郎がアイヌ文化を尊重し、「北海道」と名付けた時、いろんな民族が出会える地域性を予想していた気がします。

 実は同じ時期にもう一人、心の広い男がこの地域に向かっていました。米国ワシントン州の私の実家から140キロ離れた場所にラナルド・マクドナルドのお墓があります。

 彼は1824年にアメリカ先住民とイギリスの貿易商の間に生まれました。ラナルドは鎖国日本に興味を持ち、自分と似たような人たちに出会えると考えて、45年に捕鯨船に乗って日本に向かいました。

 利尻島の近くで遭難したふりをして、アイヌ民族に助けてもらったラナルドは、顔の作りが似ていたおかげで信頼され、島を自由に歩き回ったそうです。その後、長崎で軟禁になったのですが、教養が認められ、英語を教えることになりました。上達が特に早かった森山栄之助がラナルド帰国後、ペリーの通訳を務めることになりました。ラナルドは帰国後も旅の回想録などで日本の文化や情報を広めました。

 この男たちが海、文化、言葉の壁も乗り越え、新しい地域と関係を付けることができました。彼らの寛大な精神から、いろんな国の人を迎える立場になったわれわれ北海道人にも重要なメッセージが伝わります。


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