北海道新聞旭川支社
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北極星

 藤沢隆史(礼文町教委主任学芸員)*開拓者3代の物語 2017/08/15

 礼文島では、江戸時代の漁場開発を契機として、和人による開拓が始まる。この漁場は、長らく松前の商人によって経営され、一般漁民が関わることはなかったが、19世紀中ごろ、津軽から柳谷万之助(まんのすけ)という1人の漁民が渡ってきた。

 柳谷万之助は、弘化年間(1844~48年)に漁場開発を試み、元治元年(64年)に再び渡って漁場経営に成功した人で、近代漁業の祖と称される最初の移住者である。彼に関する資料は、町の郷土資料館にある開拓使の賞状しかないものの、病院建設費を寄付するなど、村の創立期を支えた人でもあった。

 55歳で没した後、長男善太郎が家督を継いで家業を発展させ、建網7カ統、海産干場(かんば)5万坪を有する大漁業家となった。また、村の総代や議員も務め、学校建設費を寄付するなど、父と同じく生活基盤の整備に貢献した。

 善太郎は1906年(明治39年)に没し、家督は長男石松に相続されるが、石松はその3年前に陸軍へ入隊、日露戦争に出征して激戦の黒溝台会戦に参加した。戦功により勲八等に叙され、07年(同40年)に除隊、帰郷して家業を継承するかたわら、漁協組合長を務めるなど、水産業の発展にも尽力した。

 わずかな資料に残る断片的な記録であっても、それがつながると長い歴史の輪郭が浮かび上がってくる。お盆がある今月は、遠い先祖に思いを寄せるには最良の機会だろう。


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