北海道新聞旭川支社
Hokkaido shimbun press Asahikawa branch

北極星

伊藤由紀子(留萌・主婦)*樺太の悲劇  2017/01/21

 吹雪もなく穏やかな正月を過ごした。「七草がゆ」ならぬ「五草がゆ」と称して、ねぎ、三葉、ごぼう、ニンジン、大根葉を入れたかゆで温まった。食糧難を経験した者は大根葉もおいしく食べる。

 子どもの頃、小さな国の日本が大国に戦いを挑んで多くの人の命を奪い合って、原子爆弾を2発も落とされ、焼け野原になって負けたと母から聞かされた。

 樺太の日本人の居留地にはソ連軍が敗戦5日後の早朝に樺太南岸から上陸し、若い女性たちを恐怖のどん底に陥れた。日本人は着の身着のまま山へと逃げた。逃げきれないと悟った父親たちは家族を集めガソリンをかけて火を放ち、自分は大木に縄をかけて自殺したという。

 多くの家族は、親がわが子を殺し、家に火をつけ、親は自殺した。小さな子どもたちはまだすやすや寝息を立てていただろう。完全に焼け落ちた家の跡には10体、15体の遺体が発見された。もっと北の方では大平炭鉱病院の看護婦23人の逃避行と集団自決の悲劇もあった。

 この樺太の悲惨な犠牲者のことを調べた青森県在住の畑中浩美氏から2冊の冊子をいただき、参考にさせてもらった。畑中氏が長い年月をかけ、犠牲者の霊を弔うかのように私費を投じて調査している訳は、彼も2歳の時、樺太からの帰還船「第2新興丸」に乗っていて、三船遭難事件で九死に一生を得た人だからだと思う。

 畑中氏は今年も、事件のあった8月22日、留萌の海が見える三船遭難の碑に来るとおっしゃっていた。また貴重な話を聞きたいと思っている。


戻る