北海道新聞旭川支社
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北極星

藤沢隆史(礼文町教委主任学芸員)*銃後の礼文 2017/01/14

 アメリカとの戦争の契機となったハワイの真珠湾攻撃から75年が経過した昨年の12月、安倍首相が現地を訪れ、戦没者への慰霊と不戦の誓いを行ったのは記憶に新しい。

 この戦争において、礼文島が直接的な被害に見舞われたことはなかったものの、地理的にロシアと向き合う場所であったこともあり、防空体制が強化され、防火訓練が行われるなど、日々の暮らしの中にも緊張感があったようだ。

 真珠湾攻撃からさかのぼること2年前の1939年(昭和14年)、日本は既に中国と戦争状態にあったが、この年の3月から8月までの半年間における旧香深村の様子がわかる記録が残されている。それが『銃後の香深』である。

 この記録は、香深村の住民が編集したもので、その内容は、防火訓練や出征の様子、戦時貯金の呼びかけなど、時局に応じたものとなっている。

 しかし実は、最も多い記述は、漁業に関することである。3月から5月は鰊(にしん)漁、6月は鮫(さめ)や鰯(いわし)漁、7月から8月は昆布漁などの状況が日を追って詳細に記されている。これほど詳細な記述がある文献は他には見当たらず、昭和初期の漁業の実態を知る上で貴重な文献である。

 これを読む限り、戦争という大きな国策が進む中にあっても、島の人々には日常の暮らしがある。漁の好・不漁に一喜一憂したり、神社の祭典や子供の入学を祝うなどの当たり前の暮らしである。

 新年早々にこの文献を読み、日々の出来事を記録することの大切さを実感すると同時に、当たり前のことを記録していく難しさも痛感した。


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