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北極星

安川としお(士別・朗読パフォーマー)*葬式のシナリオ  2016/12/02

 自分の葬式の進行台本は自分で作っておきたいと、いつの頃からか考えていた。

 経歴はしっかりと整理し、遺影はもちろん、生まれてから現在までの足跡をたどる写真も自分で選定し、誰に友人代表の弔辞を頼むか、自ら生前の厚情に感謝する映像を制作し、葬儀の中で放映してもらうのはどうか、などと思いをめぐらしていた。

 しかし、これは特別に他と違うから意味があるのであって、最近はやたら「終活」だの「自分らしい旅立ち方」だのがマスコミに吹聴されるようになって、少し考えが変わった。

 「棺を蓋(おお)いて事定まる」。人間の評価というものは、ひつぎのふたが閉じられた時に決まるもので、「葬送の方法」まで自分で決めるのは傲慢(ごうまん)に過ぎるとも思うようになった。

 死後、子どもたちが困らないように、いろいろな事をきちんと整理しておくのもいかがなものかと思う。家を離れて数十年も、盆正月にしか会わなかった子どもたちが、残された書簡や日記やアルバムや愛用品、服飾品などを何日もかかって片付けることで、親の数十年の歳月と思いをたどることができるのだ。できるだけゆっくりと、時間をかけて片付けてもらいたいものだと思う。

 しかし、死後、すべての整理を便利屋に頼んで「おしまい」ということもあるかもしれない。それはそれで、そういう“親子”だったのだ。


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