北海道新聞旭川支社
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北極星

伊藤由紀子(留萌・主婦)*手首の白い傷痕   2016/11/11

 71年前、日本がやっと負けを認め、樺太で働いていた人々は女性と子どもに限り帰国できることになり、着のみ着のまま帰還船に乗った。だが、故郷の山を目の前にしながら、旧ソ連軍の潜水艦から魚雷攻撃を受けて大勢が犠牲になった。

 この三船遭難事件の犠牲者を慰霊するため留萌市の高台にある碑に今年の夏、お参りに行った。すると、第二新興丸に3歳の時乗っていて助かり、慰霊を続けているという青森県在住の畑中浩美さんと出会った。そこで畑中さんから、樺太北部の大平炭鉱病院の看護婦23人の集団自決の話を初めて聞いて驚き、悲しみで震えた。

 敗戦の2日後、北方から旧ソ連軍が迫りくる。看護婦23人と付添婦1人が傷病人を残して逃げることはできない。でも旧ソ連兵から辱めを受けるくらいなら死を選ぶか悩んだ。それを察した入院患者たちは「あなた方はまだ若いから逃げて下さい」と言った。32歳の婦長にとって22人の若い看護婦がそばにいたことは責任重大であった。婦長は傷病患者の枕元に治療薬などを配るよう看護婦たちに指示した。迷った末の決断であった。

 彼女たちは注射液、睡眠薬、外科用のメスを分けて鞄(かばん)に入れ、患者たちに再会を約束し壕(ごう)を出て山を登った。付添婦と別れた23人は婦長から順に睡眠薬を飲み左手首にメスを入れた。17人は一命を取り留めたが、婦長を含め6人が命を落とした。助かった者の左手首には白い傷が残った。

 畑中さんはこの悲劇を冊子「大平炭鉱病院看護婦の悲劇」(下北半島研究所発行)にまとめた。戦争の悲惨さを書き残すことの大切さを教わった。


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