この8月の台風で、旭川では近年まれに見る豪雨を経験した。通勤バスで橋を渡るときに川を見ると、河川敷にあふれるギリギリまで水がせまっていた。 旭川は比較的、自然災害の起きにくい街だが、市内を貫流する石狩川に大きな3本の支流が合流して水量が増し、それが神居古潭の狭い峡谷で押しとどめられているせいで、水害の起きやすい地形になっている。今回あふれそうになっていたのは3本の支流の一つ牛朱別(うしゅべつ)川で、多くの小さな支流を集めながら市街地を横断しており、かつては何度も水害を起こした「暴れ川」だった。 もとは1キロほど下流で石狩川に合流していたため、その間の土地は大雨のたびに冠水していたが、1932年(昭和7年)に完成した切り替え工事でその危険もなくなった。また、2002年にはさらに上流で石狩川に水を逃す、永山新川というバイパスを通したことで、市街地への影響はますます小さくなった。 普段は水量も少なく、そこまでの大工事を行う意味が正直ピンとこなかったが、今回の雨は、これらの工事がなければ確実に被害が出ていたことを感じさせてくれた。 図書館司書時代に郷土資料でさんざん見ていた洪水、そして川の切り替え工事。単なる知識だったことがらが、水害の危険をまざまざと見せつけられることで、歴史と地理が交錯し、自分の中で新たな体験として再構築された。歴史は過去ではないと思い知らされた経験だった。
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