北海道新聞旭川支社
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北極星

伊藤由紀子(留萌・主婦)*あれから71年後の8月22日  2016/08/27

 8月15日、敗戦から71年の月日がたった。広島に原子爆弾が落とされ、すぐ後に世界の多くの国から「もう戦争はやめなさい」と言われ続けたのにやめなかったこともあって、長崎にも原子爆弾が落とされてしまった。

 敗戦の5カ月も前の3月10日に東京大空襲を受け、8月6日に広島への原爆投下、沖縄は全土を焼き尽くすような爆撃を受けた。北海道の海岸沿いの市町村も艦砲射撃で大勢の人が亡くなったり傷ついたりした。

 敗戦時4歳で食糧難のひもじさはつらかったが、それどころではない大変なことが8月22日未明に起きた。樺太からの疎開船「泰東丸」「第二新興丸」「小笠原丸」が故郷の山が見える所まで来たのにソ連軍の潜水艦によって1708人の女性や子どもが犠牲になった。

 この「三船遭難事件」の犠牲者を悼む慰霊碑を、今はなき医師と篤志家の女性が費用を出しあって海が見える明るい場所に移築し、碑の近くに住む女性2人が花を手向けてくれている。

 今年の慰霊の日には毎回お参りに参加している人のほかに、第二新興丸に母親、姉たちと乗船していて助かった当時3歳の男性が青森県から初めて参加し、母親や姉から聞いたことを話してくれた。同じ船に少年兵として乗船していた札幌の男性が目撃した地獄図を墨絵にして皆に渡し、作詞作曲した「あゝ鬼鹿沖」の歌のテープもくださった。

 小雨の碑の前に集まった人たちは読経を聞き合掌すると心が一つになったような気がした。


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