北海道新聞旭川支社
Hokkaido shimbun press Asahikawa branch

北極星

大谷真樹子(旭川・おでんや店主)*感謝  2016/08/15

 15日は終戦記念日、月遅れ盆です。

 1年がまたもや、あっと言う間に過ぎました。昨年は叔母2人と共にお墓参りに行き、ぼうぼう生い茂った草の始末に大変だったのを思い出して、1週間早めにお墓の草刈りをしてきました。周りを見渡すと、どこも草一本なくきれいでした。知人とその話になり、除草剤をまいたらよいと教えられました。

 両親が元気だった頃、お墓参りに行って3人で写真を撮ったりしたことも良き思い出です。

 昭和14年(1939年)2月14日、父は上海に第一歩を踏みしめました。日本通運上海支社勤務になったためです。当時のことを郷土史に書いています。「まだ23歳の若さでの一人旅、寂しさが身にしみてきた頃に上海上陸、迎えに来てくれていた上司が日通の旗を振っているのを見てほっとした」

 昭和20年の春、「戦雲いよいよ急を告げ」、家族を日本に帰すことになりました。50家族140人に父を含め5人で付き添い、帰国の途につきます。上海から船に乗るのは危険だというので、空襲に遭ったりもしながら陸路、満州、朝鮮を目指し、博多港に上陸したのは15日目のことでした。

 父は母と姉を旭川に連れ帰り、再び上海に行くため上京します。8月中旬に発(た)つことが決まり、茨城の姉の家を訪問中に、この日を迎えました。「涙の中で重大放送の玉音を拝した。かくして私は敗れた日本に残ったのである」

 父が書き残した一文を読み返し、1日早く上海に向かっていたなら私は存在しなかったと考えると、人生、運命の不思議を感じ「ありがたい」と思わずにいられません。感謝あるのみです。


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