周囲を山岳景観に囲まれ、眼下の低地に田園地帯が広がる富良野盆地。色彩のコントラストが織りなす景観美にひかれて再訪を重ね、ついには移住する方も多い土地柄である。ここに至るには、明治後期に着手された開拓とその後の土地改良の歩みを抜きに語ることはできない。先人の労苦により、整然と区画された美麗な田園風景が出来上がったのである。 その一方、代償として失われたものも数多い。かつて富良野盆地は広大な湿地と氾濫原が広がる森林地帯だった。1887年(明治20年)に開拓地選定のためフラヌ原野へ調査に訪れた北海道庁地理課の主任・柳本通義は当時の様を「樹木鬱蒼(うっそう)昼猶暗く草木欝生して人より長く、沼地あり低湿地あるも咫尺(しせき)を弁ぜざれば、喬木(きょうぼく)によじ登り、漸(ようや)く原野の大勢を一瞥(べつ)し(略)」と自叙伝に記している。 現在、往時の湿地林は富良野市の盆地東縁部に位置する鳥沼公園にごくわずかな面積が「面影」として残るだけだ。 断層崖からこんこんと湧き出す湧水を水源とする沼と湿地で構成され、わずか10ヘクタールの小面積に多種多様な動植物を包含し、「富良野盆地の原風景」を記憶するタイムカプセルのような希少な自然環境だ。公園中央部を縦貫する道路や湿地を埋め立てた歩道、排水路など利用優先の人為的な開発行為でズタズタではあるが、生き物たちは何とかけなげに命をつないでいる。 今夏、鳥沼公園に残された自然環境を生き物の視点から、今一度考え直す特別展を開催予定だ。私たち自身、展示を作りながら、さらに自問自答してみたいと考えている。
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