日常生活に溶け込んで目になじんだ自然の風景が僕には三つある。生まれて12歳まで暮らした紋別の海の見える風景。20代に5年間生活した豊富で草原から利尻富士を遠望する風景。そして今を生きるふるさと風連の田園風景。 この三つが僕の人生に刻まれたかけがえのない風景だが、古希に近づいた身には、盆地に水田が広がる、こぢんまりとした風連の風景が一番、心休まる。紋別は坂道が多く浜のまち特有の変化と情緒に富んでいるが狭苦しくもある。逆に豊富の草原風景は広大すぎて身の置き所を失って落ち着かなくなるところがある。 その点、風連の風景は狭すぎず広すぎず、ちょうどいい。盆地だから視線の先を囲む低い山並みが安心感を与えてくれる。この年になると、穏やかなこと、強烈でないこと、過剰でないこと、それでいてどことなく人々の暮らしの匂いが伝わってくることが、ことのほかうれしい。 5月下旬のこの時期、わがまちの田園風景はいきいきしてくる。田んぼに水が張り、田植えも始まって早苗の緑が目を引く。畔には水仙や芝桜が彩を添え、日課の朝の散歩は楽しみが増える。下多寄の基線ぶちの圃場(ほじょう)に沿った並木「フラワーロード」のズミが白いかれんな花を付けて見ごろになるのも、もうじきだ。 田植えが済んだ水田は、苗丈の成長とともに緑の量を蓄え、道北の短い夏をめでて緑の敷物と化し、やがて秋には黄金色の光景に変わる。そんな田園風景を楽しみながら散歩やジョギングができるぜいたくは手放せない。「穏やかなのが一番」と余生のすべを決め込む自分を許してもいい、と思えるいっときでもある。
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