北海道新聞旭川支社
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北極星

藤沢隆史(礼文町教委主任学芸員)*真冬の漁  2016/02/10

 最高気温が氷点下の真冬日が続き、北西の季節風が吹きつけるこの時期、礼文島でタラ漁が最盛期を迎えている。タラは弾力のある身、濃厚な白子、食感の良いタラコなど、煮てよし、焼いてよし、揚げてよしの三拍子そろった魚である。

 島の人々は冬の貴重なタンパク源として昔からタラを食べてきた。その始まりは、古墳時代から平安時代の北海道で栄えた古代オホーツク文化の人々だ。彼らは海での漁を生業とする人々で、ニシン、ホッケ、タラを大量に捕獲していた。

 産業としてのタラ漁は、青森県人の工藤八五郎・倉吉親子が文久元年(1861年)に島に渡り、着業したのが始まりと言われる。

 やがて、彼らは西海岸南部、香深村元地の沖合が一大漁場であることを発見し、明治13年(1880年)に元地に移り工藤漁場を開いた。北部の船泊村では明治38年(1905年)に富山県人の富山政次郎が着業し、漁法の改良や取引先の開拓に努めて基礎を築き、肝油製造の祖ともなった。

 肝油は、タラやサメなどの肝臓に含まれる液体と、それから抽出した脂肪分のことで、香深村の岡村徳治郎、小坂乙吉らによって加工業として発展し、その生産は昭和まで続いた。

 今や、昆布やホッケなどと肩を並べる海産物となったタラだが、冬の荒海での漁はこれまでに多くの海難事故をもたらした。今に至る発展の陰には、先人たちの命が数多く失われてきたことを、島の人々は心に留めておくべきだ。

 雪が舞い、白波立つ冬の荒海に漁師が勇んで船を出す光景は、3月まで続く。


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