先ごろ起きた長野県のスキーバス転落事故は犠牲者の多さに加え、大半が大学生だったことに心が痛む。本人に何の責任もないのに乗り合わせただけで命を奪われた。人生の不条理というほかない。 私たちは、高速(遠距離)バスに乗る時、事故に遭うことは念頭にない。死者が出る重大事故に自分が巻き込まれることは想定外だろう。それだけプロの運転手に信頼を置いているわけだが、ひとたびバスに乗ったら身の安全は運転手に委ねるしかない。汽車にしろ飛行機にしろ公共交通機関を利用する限りは同じことだが、考えてみれば恐ろしいことである。 報道によると、今回の事故では乗客の多くがシートベルトを着用していなかったという。2008年施行の改正道交法で運転手が乗客にシートベルトを着用させることが義務付けられた。とはいえ、高速バスのシートベルト未着用は乗客一人一人の自己責任に帰する。 今回の事故に限らず多くの交通事故はスピード運転を軽く見る(自分の運転技術を過信する)ドライバー心理にあるのではないか。車はまさしく「走る凶器」であり、その矛先はわが身だけでなく相手にも向かうのだ。運転には常に加害者責任が付きまとう。歩行者や自転車に対して車の運転者は相対的に強者の立場にあり、その意味での暴力性を排除できないのだ。 法定速度の有効性には疑問無しとしないが、自動車運転に付随する加害者性を直視するとき、法定(制限)速度の厳守は必須だ。これは、安全運転上のルール順守の問題であると同時に、交通安全モラルを超えて、優れて思想の領域に関わる事柄に違いない。
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