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<略歴> ふるや・まさる 1946年、旭川市東旭川町で農家の長男として生まれる。高校卒業と同時に就農する傍ら、冬期間に3年間通って酪農学園短大を卒業。経営する古屋農園ではコメ11ヘクタール、麦のほか、ピーマンなどのハウス野菜を栽培。1年のうち出荷がないのは4月と12月くらいだという。 |
旭川市東旭川町豊田で農業を営む古屋勝さんはもう二十年近く、消費者のコメ作り体験や修学旅行生の農業体験を受け入れている。その活動が認められ、一月の「地域に根ざした食育コンクール」(農山漁村文化協会など主催)で道内からただ一人、優秀賞に選ばれた。旭川グリーン・ツーリズム推進会議代表も務める古屋さんに、消費者との交流で何が見えてきたかを聞いた。 (聞き手・旭川報道部長 三塚昌男、写真・打田達也)
−−北海道の農業は規模拡大で全国の先頭に立ってきました。その一方、消費者との交流をあまり重視しない傾向が過去にあった。でも、古屋さんはその先駆けですね。
「減農薬で自然乾燥のコメを作るため、近所の仲間と『豊田はさがけ米の会』を結成したのが始まりです。一九八七年でした。はさがけ米が生協の共同購入のカタログに載りましてね。コメと一緒に僕らの顔写真入りのチラシを届けてもらったら反響があり、まず田んぼ見学会、次にはさがけ体験をやることになった。そのとき、消費者が『こんなに苦労して作っていたなんて…。大事に食べないとね』と言ってくれた。これが原点になりました」
−−年間を通じて農作業を体験できる市の公開講座「旭川市民農業大学 AND」では、古屋さんが今月下旬まで運営委員長を務めました。これはどんなきっかけから始まったのですか。
「農水省のリーダー養成の動きに合わせ、旭川市が九一年、旭川農業2世紀塾という団体を設立しました。塾生は僕のほかスーパーに勤めていたUターン組や新規就農者ら十二人で、変わり者ばかりだった。そこで、何をやるかはオレたちに任せてほしいと要求したら、市が認めてくれたのです。いろいろ模索して、塾生を受け入れ農家とする市民農業大学がスタートしました。この経験の延長線上に、今の修学旅行生受け入れなどがあります」
−−消費者との交流には大変な苦労と手間がかかる。ボランティア同然の活動ですね。なぜ、その道を走り続けてきたのですか。
「『地産地消』だから地元のコメを食べろと言っても、そう簡単には食べてくれない。『安全』と叫ぶだけなら、消費者はオーストラリアの無農薬のコメを選んでもいいのです。だから、消費者とお互いに顔が見えて、安心できる関係を築きたい。『あの古屋が作ったコメだ。まあ、まじめにやっているみたいだからいいかな』と思ってもらえればうれしい。それなくして、農家が生きていく道はないと思っています。キーワードは『安全』ではなく『安心』です」
−−グリーン・ツーリズムの活動に取り組んでいるのも、消費者と顔が見える関係をつくるためですか。
「行政は『農家に一定の経済効果』というけれど、ビジネスとしてやるなら農村に来る人はお客さまになってしまう。農業が元気になるには、消費者を応援団、つまり味方につけなければいけないと僕らは思っているんです。農業は命を生み出す仕事です。それを皆さんが食べて自分の命を保つ。経済効率だけ考えていては、命の重みを伝えることはできません」
■寸言 修学旅行の農業体験を受け入れる前、学校側に許される限り出前授業に行く。日本では残飯が絶えないこと、一方で世界には飢餓に苦しむ人がいること。食べ物と農業の話をしたときの子供たちの反応が楽しみなのだという。そんな古屋さんの目は田んぼの土を語る際、ひときわ輝く。農業が好きでたまらないのだ。その情熱が消費者との交流を進める原動力になっているのではないか。 |
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