北海道新聞旭川支社
Hokkaido shimbun press Asahikawa branch

日曜談話室

石岡武美さん(69)*YOSAKOIソーラン「夢想漣えさし」会長*2度の連覇達成 強さの秘密は*心一つに演舞 枝幸PR(2019年7月21日)
いしおか・たけみ
1950年、枝幸町生まれ。美唄工高卒業後、北見での2年間の修業を経て、父親の経営する石岡電気工業(枝幸)に入社。84年に2代目社長に就任、2016年から会長。15年ほど前から札幌に住み、枝幸へ行き来する生活を送る。

 札幌で6月に開かれた第28回YOSAKOIソーラン祭りで大賞に輝き、2度目の連覇を達成した枝幸町の「夢想漣(ゆめそうらん)えさし」。初めて大賞を獲得した2010年以降、大賞5回を数える強豪チームとなった。1996年にチームを創設し、常勝チームをつくり上げた石岡武美会長(69)に強さの秘密などを聞いた。(聞き手・枝幸支局 高尾晋、写真も)

 ――勝ち続けるチームになった要因は。

 「初めて大賞を受賞したのは2010年。その3年前から、プロの振付師を断り、自分たちで踊りを考えることにしました。私は演舞をつくる段階には入らずに、出来上がってから見ます。つくる段階から入ってしまうと、客観的に判断ができないからです。私が納得しなければやり直しで、ダメ出しを3回出したこともありました。一からつくることにより、自分たちのチームという思いが強くなったことが、大賞をとり続ける大きな要因かもしれません」

 ――チームは地元だけでなく、現在、札幌、旭川、関東に支部があります。地元以外に広げた理由は。

 「97年に初出場したときは地元で80人いました。しかし、地元だけでは100人ほどの人数を維持するのが難しいため、3年目から札幌に拠点をつくることにしました。それ以降、旭川、関東にも広げ、現在、踊り手約90人のうち、地元・枝幸は3割弱です。半分以上が枝幸にゆかりのないメンバーですが、毎年4月末に枝幸で行う全体合宿で、枝幸のことを知ってもらい、町のPRのために頑張ってくれています」

 ――チームの雰囲気は。

 「悔いを残したくないので、厳しい練習が発足当初からの方針です。しかし、居心地がいいのか、長く続けているメンバーが多い。メンバー同士の結婚が7、8組あり、チーム全体が家族のようなものです」

 ――設立当初から「YOSAKOIは手段、目的は枝幸のPR」を掲げてますね。

 「96年に札幌出張のとき、YOSAKOIと出合い、感動しました。ここに出場すれば、枝幸のPRにつながると思いました。大賞を受賞することにより、発表の場は海外も含めて道内外に広がってます。道内は毎年、10~20カ所を回ります。YOSAKOIを通して全国に人脈が広がり、枝幸を知ってもらう機会が増えました」

 ――来年は初の3連覇がかかってますね。

 「今年は本番直前まで調子が上がらず、連覇は難しいと思っていました。ところが、最後は気持ちが一つになった演舞を披露することができました。最後まで諦めず、全力を尽くすことが大切だと思っています。これからもトレードマークの扇子一本の踊りで勝負します」

*取材後記
 初めて会ったのは、4月下旬に枝幸で行われた合宿取材の時。厳しい声が飛び、背筋がピンとなるような張り詰めた空気が漂い、まるで体育会系の部活のようだった。今回の取材で現れた姿はおしゃれな「ちょい悪オヤジ」。赤い縁の眼鏡からのぞく目は優しさを感じた。厳しさと優しさ。20年以上もチームを存続させ、5度も大賞を獲得できた秘密は、ここにあるのかもしれない。


戻る