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ヒューマン

吉川一茶さん(56)*天塩川下る「ダウン・ザ・テッシ」実行委員長*カヌーツーリング魅力伝え25回*流域のマチ 一体感生む   2016/09/11
きちかわ・かずさ
1960年、名寄市生まれ。美深高、埼玉・越谷保育専門学校を卒業後、81年に名寄幼稚園に勤務、名寄公共職業安定所などを経て、01年から市の保育士として智恵文保育所に勤務する。北海道カナディアンカヌークラブ事業部長。

 天塩川を下る国内最大級のカヌーツーリング大会「ダウン・ザ・テッシ」は7月の大会で25回目を迎え、全国から愛好家ら約160人が参加した。実行委員長を務めた吉川一茶さん(56)は初回から役員としてかかわり、出場者の安全確保に尽力してきた。大会の魅力と今後の展望を聞いた。(聞き手・名寄支局 成川謙、写真も)

 ――大会は全国のカヌーイストに知られるようになりましたね。

 「大会は上川、留萌、宗谷の境をなくして天塩川沿いのマチを一つにまとめたいという思いで、1992年に北海道カナディアンカヌークラブを中心に開催しました。同時に、それまでなかった『天塩川流域』という言葉が生まれました。第1回のコースは名寄―美深間の45キロでしたが、現在は名寄―天塩間の約160キロまで拡大、ここ数年はこのうち60キロほどを2日間で下っています。道北の雄大な自然だけでなく、(流域調査をした)幕末の探検家松浦武四郎の歴史を肌で感じながら、参加者それぞれが達成感や知識を得られるのが魅力。川の名前の由来となった数々の『テッシ』(アイヌ語で魚を捕る仕掛け)と呼ぶ岩をはじめ、私が沈(ちん)(転覆)したことで名付けられた『吉川の瀬』などユニークなポイントが所々にあるのも楽しみの一つです」

 ――最初から参加者が集まったのですか。

 「初回は79艇151人が参加しました。ただ、黙っていて人が集まったわけではありません。大会を開くために、まずカヌーの存在を知ってもらおうと、北海道カナディアンカヌークラブのメンバーを中心に名寄、美深、下川、和寒などで作り方を教えて回りました。週末になると天塩川沿いの市町村を飛び回り、それぞれの地域の木材を使ってカヌーを作ったんです。そうしているうちに少しずつカヌーを身近に感じてもらえるようになりました」

 ――大会ではご自身もコースに出ていますね。

 「私の役割は参加者の安全確保です。取り残されている人はいないか、転覆している艇はないか。ポイントを迎えるたびに一番前に行き、全員が通過したのを確認して、また一番前に出る。この繰り返し。いわば“牧羊犬”のような役割です。実は第1回大会はレスキュー部隊がありませんでした。その年のお盆休み、私が家族で釧路川下りをした時に転覆し、当時2歳の息子を一時見失ったのをきっかけに安全対策の重要性を感じ、翌年、レスキュー部隊を設けました。おかげさまで25年間大きな事故はありません」

 ――今後の展望を。

 「役員ではなくても川の上で積極的に初心者に指導したり、注意を促したりと、大会は、古くからの参加者らに支えられる姿に変わりつつあります。私たちにとってカヌーはスポーツというよりも文化。米国では、会社の社長と社員が一緒にカヌーに乗って人間関係をつくると聞きます。大会をいつまで続けられるか分かりませんが、多くの方に家族や仲間同士で参加してもらい、力強い信頼関係を築いてほしいものです」


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