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さじ・はるお
1935年、東京生まれ。東京大物性研究所、松下電器東京研究所、玉川大教授、県立宮城大教授、鈴鹿短期大学長などを歴任。新しい磁性体や、自然の風の心地よさなどに関わるとされる「f分の1ゆらぎ」現象などを研究する一方、音楽と融合した科学教育にあたった。妻順子さんは音楽家で音楽療法の指導者。 |
美瑛町役場近くに建設された新しい郷土資料館「町郷土学館」(愛称「美宙(みそら)」)が9日オープンし、口径40センチの望遠鏡が備えられた併設の天文台もお披露目される。望遠鏡設置の提唱者で、天文台で解説も行う町内在住の物理学者佐治晴夫さん(81)は、昼間でも星を見ることができることの意義を強調する。(聞き手・旭川報道部編集委員 弓場敬夫) ――天文台で、どのようなことをするのですか。 「子どもから大人までを対象に、宇宙について話をします。市街地に天文台を置くことを勧めたのは、誰もが気軽に来られるようにとの思いから。1等星など明るい星なら日中でも見ることができます」 ――日中に星を見ることにはどんな意味がありますか。 「金子みすゞの詩集『星とたんぽぽ』の『昼のお星はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ』という一節と、サンテグジュペリが小説『南方郵便機』で『水のように澄んだ空が星を漬し、星を現像していた』と記していたのを読み、昼間の星に興味を抱きました」 「玉川大教授になった時の条件も、学内の礼拝堂にあるパイプオルガンを弾かせてもらうことと、昼間に星を見るための望遠鏡の設置でした。普段見えないものが、そこに存在することを学生に実感してもらうことは、人生の指針を得るにも、平和を考える意味でも大切だと考えたのです」 ――2014年に神奈川から美瑛に拠点を移した経緯は。 「10年ほど前、旭川での講演の際に食事をした美瑛のカフェがとても良い雰囲気で『じっくり勉強できるだろうね』と話したことが発端です。その後、知人から『先生になら売ってくれそうな土地がある』と連絡があり、好きなピアノを自由に弾けることもあって家を建てることにしました」 ――音楽と融合した科学教育を提唱してきました。米航空宇宙局(NASA)の惑星探査機に、バッハの曲を搭載することを提案したこともあるそうですね。 「NASAのジェット推進研究所で、ロケット乗員の乗り心地に関わる振動の微妙な不規則性の研究に関わっていた76年、多くの研究者とのコーヒーブレークでレコードを載せる計画を聞き、グレン・グールド演奏のバッハ曲を挙げました。バッハの音楽は(全体と部分が同じ性質を持つ)フラクタル構造であるなど数学的な側面があるんです」 ――美瑛町の自宅にはグランドピアノのほか、パイプオルガン練習用の電子オルガンもあります。 「戦時中、最初の東京空襲の後に、将来を危惧した父に『こんな時だからこそ良い音楽を』と言われ、日本橋の三越本店でパイプオルガンの演奏を聴きました。音楽に憧れを抱いたのはこの時です。音大に行くことはできなかったので、音楽と数学との結び付きを研究するようになりました」 「東大物性研究所時代に(『雪の降るまちを』の作者)中田喜直先生と親しくなり、作曲技法の初歩などを教えてもらいました。実は、中田先生も特攻隊要員として飛行機に乗り、昼間の星を見ているんですよ」
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