北海道新聞旭川支社
Hokkaido shimbun press Asahikawa branch

ヒューマン

浜野孝さん(60)*はぼろ学講座実行委事務局長*戦争を語り継ぐ*消えていく記憶 守りたい    2016/05/01
はまの・たかし
1956年、羽幌町生まれ。羽幌高卒業後、町役場に入庁。町民課課長補佐や社会教育課長などを務め、2011年に55歳で早期退職した。「はぼろみんなでつくる自然空間協議会」「羽幌環境会議」の事務局長も務め、町内のビオトープづくりなどにも尽力する。

 羽幌の自然や文化、歴史を学ぶ「はぼろ学講座」が戦後70年の節目の昨年から、戦時中の体験を町民に聞く「戦争の時代を語り継ぐ」を開いている。実行委の浜野孝事務局長(60)は証言者探しやテーマ調整に奔走。講座はこれまで3回開催され、証言者は戦地に赴いてはいないものの当時の空気を肌で感じた人ばかりだ。戦争の記憶が薄れゆく中、生の証言を聞き続けることへの思いや意義を聞いた。(聞き手・羽幌支局 鷲見浩二、写真も)

 ――戦争をテーマにしたきっかけは何ですか。

 「以前からずっとやりたかったんですが、原点は私の叔父です。叔父は海軍の特攻隊でした。1945年2月15日、小笠原諸島の沖で20歳で亡くなりました。私はおばあちゃんっ子で、幼いころから叔父の命日には、祖母の膝の上で叔父の手紙を読み聞かせてもらいました。そこには『国のために死ぬのではない、家族のために死んでいく』と書かれていた。その話を何度も聞き、それが戦争を知る根っこになったんです」

 ――講座で最も伝えたいことは何でしょう。

 「戦争は戦場だけで起きているのではない、ということです。羽幌のような戦地とは無縁と思える土地でも、家族が戦地に赴くことがあるのはもちろん、金属物資の供給をしたり食料が配給制になったりする。どんな小さな村や町でも暮らす人すべてに影響が出る。それが戦争の本質です。戦後70年以上が過ぎ、当時を知る人も少なくなりました。消えていく記憶を守り、残したい。それが願いです」

 ――これまで昨年8月、12月と今年4月26日の3回開催しましたね。

 「各回2、3人、いずれも町内の証言者からいろんな話が聞けました。特攻隊に志願した男性は、死ぬ準備をした時『次の世代の子供たちのために死ぬ』と思ったそうです。学童疎開で親と離れて集団生活した人や、樺太(サハリン)での抑留体験を語ってくれた人も。抑留後、日本で復学した時、年齢より下の学年になった方がいて、子供たちにもそんな苦労があったんだと改めて実感しました」

 ――講座では現在の国の安全保障体制などの問題には触れないのですか。

 「それは一人一人が自分自身の中で考えてほしいと思っています。戦争の時代を知ることは、そのための一つの材料です。私は証言者を『伝え人』と言うのですが、その人たちの話を聞き、自分の意見を持ってほしいのです」

 ――これからの抱負を聞かせてください。

 「伝え人がいる限り、3カ月に1回ほどのペースで続けていきたい。証言の内容は記録しているので、文章化して冊子などの形でも残したいと思っています。そして、話してもいいという証言者の方を募っています。ぜひ連絡をくれたらうれしいですね」


戻る